赦すこと 

"赦すというのは、忘れることではない"とバガヴァンは言っています。

バガヴァンによれば、"赦すことは、もうその人から支配されていないということ"なのです。どういう意味かといいますと、相手からひどい目に会わされて相手を恨んでいるとしますと、そうしている間は、恨みを引きずって生きているわけで、心の世界で相手から支配されているのです。 

 

これは"わだかまり"といいます。"わだかまり"があると、常に悪い想念を抱いて生きているということで、常に悪いことを呼び寄せます。赦すということは、そのような状態から自由になるということです。 

 

この場合、赦す前に、恨みや憎しみが短時間だけ爆発するかも知れません。そのかわり、それが過ぎるともう赦しています。それでいいのです。 

 

よく、わがままで親を困らす子供の方が、大人になってから健全なのに、好い子であった子供が大人になって不健全な心をもつ場合があります。これは、後者が恨みの気持ちを溜め込んでいるからです。 

 

もう一歩踏み込んで考えますと、赦せない相手が自分自身である場合もあります。ひどいことをした、ひどい奴だ、などと自分を蔑み、憎んでいることを、私のことばで、"とらわれ"といいます。 

 

この場合も、赦せない相手が自分であるという点が違うだけで、原理は、"わだかまり"の場合と同じです。自分を蔑んでいる間は、過去の醜い自分の心や行為に支配されています。 

 

自分を赦す前に憎しみや蔑みの気持ちが爆発するかも知れません。しかし、それが終われば、自分の過去の心や行為から支配されることはありません。 

 

潜在意識浄化法は、これが原理になっています。ただ、潜在意識浄化法は、赦す主体が潜在意識であること、しかも、魂、副魂、6次元霊体、5次元霊体、幽体、肉体、魂、副魂、6次元の副意識、5次元の副意識、幽体の副意識、肉体の副意識など、その主体が細かく特定されることです。 

 

そして、赦す気持ちになれるよう、個々の意識に働きかけます。顕在意識の場合には、 "わだかまり"や"とらわれ"、さらには、"しこり"や"想い癖"を特定するだけで、大変な時間と努力が必要ですが、潜在意識の場合には、容易に特定でき、気持ちを変えるための働きかけも容易です。







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