心のレシピ

人の心は本来もっと自由で心地がよいもの♪


心のレシピは あなたが本来の心を取り戻すためのお手伝いをします。

Lesson 1 「あなたの想いがあなたの心を象っている」

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たとえば、あなたが人から「何をやってもダメな人」と言われたらどう思う?


――頭にくる?その相手や状況によっては。かな。



その気持ちはどんな感じ?心地いい?


――いいわけない。



頭にくるのはなぜ?


――バカにされているみたいだから。



確かに“バカにされた”と思えば、あまり心地いい感じはしないよね。


バカにされたと思って心地よくないその心(の状態)は、当然、幸せとは言い難い。


では、心地よくない心の状態を生み出したのは、相手(の言葉)だろうか。

それとも“バカにされている”と思ったあなたのその“想い”自体だろうか。


心では“バカにされている”と思うあなたの“想い”が、不穏な状況を生んでいる。なぜなら・・


心は自らの想いを象っているようなものなのだから。


次のLessonは・・・

 「"想い"はじめに在りき」

Lesson 2 「“想い”はじめに在りき 」

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たとえば、誰かとおしゃべりしている時、相手から「あなたはどう思う?」と意見を求められなくても、相手の言葉に反応して、“ああかな”とか“こう”など、様々な応えが用意されている。


では、その応えはどこから?


――当然「頭」かな。ひょっとして「心」かも?


確かに、ぼくたちは普段から物事を頭で考え、心に思っている。だから、「頭では分かっている」とか「心にもない事を言った」ってことになるんだね。


言葉を発する(何等かの行動)時、頭の中には“ある応え”に相当する“ある想い”が浮かんでいる。相手に何かを伝える時、たとえば“何て言おうか”と考え巡らせる想いもあれば、深く考えずとも自ずと心に浮かんでいる想いもある。


では、「“思わず”口にした」とか「“咄嗟に”避けた」とか、一見“考えもなしに”って時はどうかな?


――頭で考える暇なく言っ(行動し)てるから・・考えてない。笑


そんな時は思うより行動が先だから、その行動(言動)には“想い”がない。ってことになるだろうか。


ぼくたちは自らの“想い”により、その先の行動が自ずと決まってくる。たとえ、どんな時も、いかなる場合にも例外はない。なぜなら・・


“想いはじめにありき”だから。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;


次のLessonは・・・

 「心は自ら傷ついている

Lesson 3 「心は自ら傷ついている」

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たとえば、ひそかに“好き”だと思っている人から「タイプ(好き)じゃない」と言われたら、あなたの心はどんな感じ?


――スゴ~く好きな相手だったら、超ショック!落ち込んじゃうかも。


そうね、“好き”な度合いによりけり。まさか、“嫌い・嫌われる”なんて思いも寄らなければそのギャップ相応に強いショックを受けるかもしれない。それほど“好き”に偏っていた証拠でもあるかな。


 相手により、もしくは相手の出方によっては心動かせ、一喜一憂するのは人情と言える。


では、それほどショックを受けたあなたの心はどう?傷ついた?


――突然フラれちゃったわけだしそれなりに傷つくかも。「ハートブレイク」ってね。笑


人の心が強い衝撃;ショックを受けるのはそもそも、心に潜在的な不安要素を抱えているせい。その不安(な想い)が心を動かし、揺さぶっている。


たとえ、どんなに好きな相手から嫌われたとしても、逆に、あなたが嫌う相手があなたを傷つけるようなことをしたとしても、あなたの心が傷つくことはない。


他人にあなたの心を傷つけることはできない。唯一、あなたの心を傷つけるものはあなたの“想い”。なぜなら・・


「心は自ら傷つく」ものだから。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

次のLessonは・・・

 「心を育む“想い”

Lesson 4 「心を育む“想い”」

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たとえば、人から「ありがとう」って感謝されたら?


――そりゃあ、嬉しいね♪改まって言われたりしたら、ちょっと畏まっちゃう。笑


そうだね(笑)。その“嬉しい”って思いは「心地良い」もの?それとも「心地悪い」もの?


――心地悪くはない。「心地良い」でしょう。



人は、たとえばそんな風に“嬉しい”と思っている時には、心地の悪い“嫌な想い”にはなりにくいもので、心の状態としては「心地良い」状態。逆に、嬉しくない想い、たとえば“嫌い”とか“イヤだ”など不快に思う時の心は「心地悪い」状態になる。


その時々に、どう“思う”か、何を“思う”かによって「心の状態」は良くもなり、悪くもなる。その時、その時の“想い”に伴って心の様子は変化している。



――ってことはつまり、自分の“心”のことを考えたら、「ありがとう」とか、“嬉しい”って思っていた方が「心地良い」わけだからいい。おトクだね?


そう(笑)。心は、たとえば「ありがとう」という感謝の言葉を受けると癒される。だから、心地良く感じる。いつも心が良い状態にあるためには、たとえば“嬉しい”などの心地良い“想い”である(思っている)ことは欠かせない。



心地良い“想い”は幸せな心の状態を生み出す。「ありがとう」の感謝の想い、“嬉しい”などの心地良い“想い”によって、心は幸せな状態になる。なぜ?って・・


自らの“想い”によって心は育まれているから。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

次のLessonは・・・

 「ごめんなさい」は心の洗練

Lesson 5 「ごめんなさい」は心の洗練

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たとえば、人から「ごめんね」って謝られたら、どんな気持ちかな?


――時と場合によるかもしれないけれど、ナゼ(謝るの)?”とか・・“何も謝るほどの事じゃあ(別に謝ってもらわなくても)・・”とか思うかもしれない。


そうね、そう言う事もあるかもしれないね。その“想い”はたとえば、「頭に来た」とか、「腹が立つ」なんて時に感じる“心地悪い”ような感じと同じかな?


――拍子抜け?とか、バツが悪い、極まり悪いなんてことはあっても、悪い気はしないと思う。逆に、改まって謝られるとちょっぴり照れくさかったりして(*^_^*)


そうね(^^)日常、何の理由もなく謝る人はまずいないでしょう。それが顕在的であれ、潜在的であれ、そこに何らかの理由や要因があるからこそ「ごめんなさい」となるわけだから。加えて・・

「ごめんね」と謝られた人も実は、その何らかの要因に多少なりとも関与しているもの。それがたとえ顕在意識では「ナゼ?」のように、その理由について希薄な認識であったとしても。だからこそ、「ごめんね」って謝られて、悪い心持ちにはなりにくいのです。


「謝っちゃおう」とTVドラマ“北の国から”では、息子の失態に、父親なりの子に対する精一杯の諫言とも受け取れるその“ごめんなさい”が子の心を深く揺さぶります。


謝罪は最高の浄化。心からの謝罪「ごめんなさい」によって、その心に抱え込む様々な問題が洗い出されるため、心が軽くなり“心地良く”なります。なぜ?って・・


「ごめんなさい」は心の洗練だから。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

次のLessonは・・・

 心は「愛」に癒される

Lesson 6 心は「愛」に癒される

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たとえば、好きな人に“愛されている”と感じた時の心はどんな感じだろう?心地良い?



――そりぁ、モチ♪嬉しい!幸せ~(*^_^*)



そうネ(笑)みんな“愛されたい”と思うのはフツーなことかもしれないね。それだけ、どこかで“愛されることの心地良さ”を知っているから。

この「愛されている」は、他者からの愛に限ったことではなく、「自愛」についても同じことが言えます。

(もちろん、「自愛」も自己都合による欲情のことではありません)


では、愛されることが“心地良い”なら・・逆に、愛されていない場合はどう感じる?



――悲し~(>_<)。空しく感じちゃうかも。


そうネ、愛されていないことは寂しく、その心は“空しさ”を感じている。

験しに、“愛しています”と心をそっと抱(いだ)くような気持ちで想うと、心に安心感が広がります。これは、自分の心でも他者の心でも同じです。

顕在的であれ潜在的であれ、己の“在るがまま”を認めていないと心は“空しさ”を抱えたまま、愛されることによる“平安”をより強く求めます。



愛されることの重要性を心は知っています。

「愛」に乏しいと、心に不穏な状況が生まれやすくなります。それだけ、愛されているか、愛されていないかは心にとっての死活問題といえるほど。

だからこそ、人は「愛される」ことを求め、その心は「真の愛」を欲しています。なぜなら・・


心は「愛」に癒されるものだから。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

次のLessonは・・・

 「受け容れる」ことは心の成長を促す

Lesson 7 「受け容れる」ことは心の成長を促す

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たとえば、あなたは「今の自分」に満足しているかしら?


――う~ん・・どちらかと言えば・・してない。かな。


どこか不満に感じているところがある?



――そうだなぁ、もう少し・・頭が良かったらなぁ~(苦笑)とか。そう思う時はある。



そう、日常の様々な場面で“(もう少し)○○だったなら”なんて思うこと、多かれ少なかれどこかで経験することかもしれないね。では・・

その「頭が良かったら・・」と思った時の気分はどう?良い心持ちがするかしら?



――いやいや、ちっとも良くない。逆に何だか悔しいような、淋しい?空しい?ような(^^;



そう、その不満(な想い)は、心に不穏な状況を生み出しているから。その不満が、常習的に“自分(心)を受け容れない”状態となれば、心は常に不安でいっぱいに。不満から“不信感”や“不条理感”といった幸せとは縁遠い不幸な想念を招きかねない状態です(>_<)



心は、受け容れられなければ空しく、卑屈な想念に溢れ、曇ってゆきます。人は生まれてきた以上、幸せな状態を望んでいるにも関わらず、在るがままの現状(自己の状態)を受け容れられない“想い”により、心がちぐはぐな状態となって幸せに向かってまっしぐらに成長することができなくなってしまうのです。


たとえ、善くとも悪くとも在るがままの自分を“受け容れない”ことは、心の成長を阻んでしまいます。なぜなら・・


“心は「受け容れる」ことで育まれる”から。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;


次のLessonは・・・

 心の成長を阻むもの

Lesson 8 心の成長を阻むもの

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たとえば、あなたの心が「傷ついたぁ~」と感じるとしたら、それはどんな時?


――え~・・と、相当ショックを受けた時かな。ものすご~く頑張ったのに「ダメ出し」たとえば受験に合格しなかった?とか・・最愛の人が死んじゃったとか。


そうだね。どちらもそれなりに衝撃的でショックな事かもしれないね。そもそも「ショックを受ける」のは、その物事に直面した時に心が大きく揺れ動くから。心は、今までに経験したことのない事態に直面しても動揺しがちだけれど、経験があるゆえに平常心でいられないこともある。後者はトラウマだね。


――え?ってことは・・動揺しただけでは心は傷ついてない?


そうだね。心が平常でない分、不穏(不安定)な状態にあることは確かだけれど、揺れ動いただけでは心は傷つかない。もし、ショックによって心が傷ついたと感じるとしたら・・それは、いづれかの過去世にて既に、心を傷めてしまっているから。


――そっかぁ、過去の古傷?が疼いて動揺させちゃうわけか~


そうだね。トラウマは、心の“傷”。過去世で衝撃的な出来事に遭遇して心を傷めると、今世で似たような出来事を「ショック」に感じて、動揺する。その傷が深いものほど深刻だからとても平常心ではいられず、ともすれば過剰な反応が起きやすい。


人は生まれかわりの長い人生の中で遭遇する様々な出来事に“心を傷めている”可能性は大いにあって、心が全く“無傷”な人はいないのが実状。


年齢と共に肉体が成長するように、願わくば心も一緒に成長してほしいもの。けれどもトラウマ(心の傷)があると心はなかなか成長できないのです。なぜなら・・


心の傷は、自らの成長を阻むものだから。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

次のLessonは・・・

 「涙」は心の傷を癒す

Lesson 9 「涙」は心の傷を癒す

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たとえば、あなたが“思わず泣いちゃった”って時はどんな時かしら?


――そう言えばこの間「24時間TV」で思わず泣けた。

誰某のためにって必死になって走ってる姿見たからかな。


そうね。直向きな姿や一所懸命、力強い生き様に触れると励まされ、心が感動しますね。空一面の夕焼け雲や雨上がりの虹、ご来光や月明かりetc...風光明媚な自然現象に心躍り、涙することも。他にはどうかしら?


――“可哀想”って思って泣けたり、実際に悲しかったり。怒ってるつもりなのに、何故かしらん?涙が止まらなくて。ってこともある。コレ“悔し泣き”かな。。(^^;ゞ


そうね。“感動”から嬉し泣きすることもあれば、哀しくて泣くことも、悔し涙もあり。いづれも心が揺り動かされていることが、涙や「泣く」という現象に現れていますね。

では。。泣いた後の心はどんな感じかしら?


――何か、スッキリ感がある。ひとしきり泣けば・・満足?なのかな(笑)


そうね。思いっきり泣いた後は“清々した”なんて経験のある人も多いと思います。


過去世~現世に渡る人生において培ってきた“想い(想念)”の中に、“悲しい”や“悔しい”、怒りや不安等々の苦しい想いから心は傷つき、疲弊しています。そのような心の状況下では生きていることが“辛い”と感じてしまうことも。それゆえ、直向きな姿に心揺さぶられて感動し、力強い生き様に励まされるのです。



苦しい想いを抱え込み傷んだ心は、素直に泣くことにより癒されます。過去世に拵えた辛い心の傷は「涙」によって少しずつ拭われ、頑なな心は解れてゆきます。なぜなら。。


“涙は心の傷を癒すもの”だから。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

次のLessonは・・・

 “気持ち”は「心」の現れ

Lesson 10 “気持ち”は「心」の現れ

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A:そうそう、この間の台風の大雨はほんっと、スゴかった~!

家の裏手にある用水路の水嵩がどんどん上がってきて、一時はどうなることかと・・。


Q:そう、それは心配だったネ。その時の心はどんな様子だったか・・思い出せる?


A:もちろん!“このまま増水し続けて溢れてきたらどうしよう”ってハラハラして・・とても落ち着いた心地ではなかった。コワかった~(>_<)


Q:そう、それほど心は不安で揺れていて、とても穏やかではいられない不安定な状態だった。その時の“気持ち”が「ハラハラ」ってところかな。それで、その後はどうしたの?


A:どこかの水門を開放したらしくて見る見る水嵩が減っていって・・ひと先ずホッとした。それでもって雨上がったら清々してて・・そう、オレンジ色の夕焼け雲が超キレ~だったなぁ♪


Q:そう、それは本当に“よかった”ネ。 不安に揺れる心が安堵し、平穏な心で見る夕焼けはことさら感動を呼んだことでしょう(^^♪


不安な想いが拭われると“気持ち”も軽くなります。「晴れ晴れ」や「清々」といった様子は、心の想い(想念)を“気持ち”として感覚的に表現したもの。いづれも「心」に思う恐れなどの不安要素から解放されて心穏やかな状態になったことを実感しています。


心に浮かぶ想い、その潜在的想念は“気持ち”として表現されます。気の持ちようは想念の在り方に通じ、心の状態は想念次第。その想念は“気持ち”を伴って変化します。なぜなら。。


“気持ち”は「心」の現れだから。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;






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