人の心は本来もっと自由で心地がよいもの♪
心のレシピは あなたが本来の心を取り戻すためのお手伝いをします。
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こんな経験、ありませんか? 人生を夢中で突っ走り気づかぬうちに自分を追い詰めてしまっていて。。ある時、ふと“死にたい”なんて思う傍ら、それは“本当?本意(本望)か?”と横槍を入れる想いあり、結局行動に至らなかった。
“○○しよう”と考えた。あるいは“そうしよう”とした。けれど、それとは真逆的な想いや諌め?るような想いが湧いて心にブレーキがかかった。とか^_^;
塾生:自我は「インナーチャイルド」にも譬えられますか?
センセ:そうですね。。“現段階において”は。そう譬えてもよいやもしれません。
自己意識の成長段階における、必要十分な学び(気づきや悟り)を得られていない状態の心は物事の分別に欠け、言わば「未熟な幼子」の様相です。
塾生:心の成長がある程度進んでゆくに連れて、自我も大人になってゆきますか?
センセ:私たちは自己意識の成長に伴って、より高次元の見方や価値観へ拡充されゆくようハイアーセルフ(真なみ魂)、自己(み魂)意識よりも2次元上の高次元の意識が備わっており、常に自己意識の成長をサポートしています。
塾生:いわゆる、自我の“我”は自己意識、“彼”は真なみ魂なのですね^_^♪
天が人に与えたもうた、心を成長させるための高次の意識;真なみ魂により、物事の道理に則した分別(ふんべつ)がつくよう、高次元の観点より幸・不幸を見定め、“我”に偏らず“彼”の有する天の公理(宇宙の真理)に基づく価値観へと自己意識の進化が計らわれている。
私たちが真理に気づけずに生き急がぬよう、たとえどんなに苦しい時であれ。。
早まって過ちを繰り返さずに済むように、また、幸福の本質に気づいて真に幸せな心へ進化成長し続けるため、自己意識を高次元から観る“彼;真なみ魂”は心の成長の舵取りをしてくれているのです。。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;
次のLessonは・・・
「自由な心」
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「向こうが○○してきたから、だから(私は)こうした」
もし、相手が“そう”だった。なら―――それを受けたあなたはどうする?
その“想い”は、心を不自由にしていない?
塾生:この間、職場でちょっとイヤな思いをしまして・・^_^;
当然、因果律(いんがりつ)の関係から過去世では逆に、相手にイヤな思いをさせたのかもしれません。それに気づいたら少し楽になりました。
センセ:そう。。よき“気づき”の機会を得られましたネ^_^
世の物事は何の因果関係もなく起きる不条理は少しもありませんから、あなたと相手、その出来事を経験する人共々、その事に関わる理路整然とした理由があります。
塾生:確かに。その時は“職場だから”と浮んだ「イヤ」という“想い”を切り替えたつもりでいました。が、少し後になって“あの時は・・”と彷彿されて・・どうやら。。切り替えられていなかったようですね^_^;
センセ:そうですね。その「イヤ」は不快、その不快感は潜在意識の発する想いを総括している心が感じています。そもそもの理由はお察しの通り。。
あなたの過去世での経験から心は不快な“想い”にとらわれています。したがって「切り替えられなかった」のは本心です。
本来、心は自由な存在―――。なのに。。そう在れないのは、ある固有の想いに囚われている。あるいは囚われやすい心の状態であるから。
“○○はこういうもの”or“きっとああ”だor“もしも・・〇〇だったなら”etc.
相手による?場合によって?条件によっては?それらの固定観念や思い込みも、その想いにとらわれている心は不自由。当然、取り越し苦労にも。たとえ。。相手が、誰であれどうであっても、囚われない心は自由です。。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;
次のLessonは・・・
「心を解き放つ」
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人の心はとらわれやすいもの。たとえば。。
「Sさんが好き。Tはキラい。」とか
「○○は苦手」「××は好きじゃない」とか何とか。何か思わしくないと感じるものひょっとして。。それ、立派?な“トラウマ”かもしれませんヨ>_<;
塾生:心が成長してゆくと、以前よりも苦手意識が薄らぐ感じが。けれど・・
相変わらず好きになれない人がいて^_^; そういう人や物事もいづれは好きになってゆくものなのでしょうか?
センセ:そうね。。「好き」や「嫌い」は概ね、個人的嗜好に偏る価値観では?であれば心の成長に伴う価値観(見方)の拡充により、嗜好も変わるでしょう。
塾生:たとえば。。「好き」なものが別段、好きに偏らなくなったり「嫌い」がさほどでもなくなったり。嗜好に依存した価値観が進化して、どちらでもない、どちらにも偏らない見方になる。それは、楽ですネ♪
センセ:そうね、人は過去世より数世に渡る人生経験により、生きる智恵や様々な習慣やクセを潜在意識に沁みつけています。その時々の経験において、好き嫌いも得意や苦手といった物事の価値判断基準(ものさし)が培われている。過去世から鑑みれば人の心は成長進化していますから、今は「イケ好かな(い)」かったとしても将来、未来永劫そうとは限らない。心を解放すればもっと楽になりますヨ(^_-)-☆
“好き”という想い、“苦手”と思う想い。いづれも固有の“想い”。世の物事(人)を「“好き”ものさし」で見れば当然「好き」、「“苦手”ものさし」で見れば当然「苦手」。
その「ものさし=価値観」はあなたの心の成長の段階。
過去から現在へ。心は成長し続け、マイものさし(価値観)も進化している。
もしも。。好き?苦手?だったなら。。
その偏る価値観に囚われた心を解き放ちましょう。。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;
次のLessonは・・・
「“強み”は心の成長」
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「心を強く持ちなさい」と幼い頃に言われた記憶があります。
“心を・・強く”。 頭では何だか分かったような、分かっていないような。
それでも何となく。。「軸となるのは“心”」ということ、その心はブレやすく、平静平常を保つことが大事なのだと・・・先人たちの智慧が心に薄らと刻まれ、活きています。
塾生:私は昔から身体機能の弱さを感じており、努めて強化に勤しんでいます。強くあるため、授かる能力をもっと活かすため懸命になるのは慢心でしょうか?
センセ:そうですね。。持てる能力を強化することと、精神的な強さは穿き違えやすいところかもしれません。身も心も天よりの授かり物、貴方が真の幸せを会得するために必要不可欠な賜り物“ギフト”です。
塾生:能力強化や開発に偏るのも、過去世の生き様が影響していると・・?
センセ:そうですね。身体の機能向上や能力開発に懸命になり、心を置いてきぼりにしては本末転倒となってしまいます。それは慢心(我慢・傲慢)に因るものです。
過去世における“自分は他より劣っている”との劣等感から、より強く、より優れたものを目指し、他に“認めてもらう・認めさせる”といった強い自我が培われる。
私たちは自己の都合により他者と持てる物を比較して、自らの“授かり物”に対し強い・弱い、好都合・不都合などとの評価や判断を下しては、自らを不幸に貶めています。
あなたが求めるその“強さ”、本当に、天が望まれているものでしょうか?
己の過去世の生き様が多くの悪いカルマやトラウマを生み、それが元で、心は脆く(弱く)なっている。真(本来)の“強さ”を求めるなら。。自らの心を育み、“我(われ:自分)”というプライドや慢心から心を解放して、真の自由を得ること。しかありません。
欲望や情に囚われない、偏りなき自由な心は微塵もブレず、常なる平静さで物事の本質を見つつ、あるがままを受け容れています。
その心が一段と大きく成長してこその“強み”なのです。。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;
次のLessonは・・・
プライドは心の裏返し
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「仕事にプライドがある」「自分に誇りを持て」って・・どこかで聴いたことある気持ちとしては一般的な理解を得ている言葉かもしれません。それでも!敢えて・・
そのプライド、あなたの心を傷つけていませんか?
塾生:ある方からお電話で「仕事のノウハウを教えてくれ」と言われて、困った。
ここに来るまで本当に苦労して、多くの時間やお金も投じてやっと「仕事」になった。だから、電話で安直に済まされるものではないと。
センセ:そう。。それほどのご苦労を積み重ねられた。だからこそ、そのノウハウを数時間で持ってゆかれては“プライドが許さない”。その気持ちは“情”ね(笑)
塾生:ちょっと傲慢だったかな。どうしても・・何の努力もなし「教えてもらおう」みたいな、容易く他人様を利用しようとするその姿勢にイラついてしまって。
センセ:そう。。あなたは過去世よりのお世話人。ゆえ、世話を焼くことに事欠かない。
だからこそ、お世話の必要な人を引き寄せる。努力家でもあり、実行力のあるあなたから見れば、あなたのお世話を必要とする人は楽して安直に世を渡ってい
るように見えるはず。それは“嫉み”ですね。
世の中には多種多様な生き様がある。あって自然なこと。
上記一例は至極身近な、よくある例です。仕事が出来る、お金持ち、頭脳明晰や容姿端麗、努力家、、等々が本人の潜在意識にプライドを築き、いつの間にやら。。自分と他者との間に隔たりを生む。
この方の抱える“嫉み”に、本人の心は“そうありたくはない”と訴えていました。
なぜ?って。。
“当然”としてきたその“プライド”は―――
実は。。心の“裏返し”なのです。。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;
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人は「嫌い」とか、「苦手」と思えば避けますよネ。そりゃ、当然でしょ!?
それってもしかすると・・気づいていない心の問題かもしれませんゾォ^_^;ゞ
塾生:「早起きは三文の徳」っていうからには、早起きの方がいいようにも思うのですが・・朝早いのは苦手。習慣ですから難しいですね。
センセ:そう、一般的には。習慣を覆すのは先ず、「苦手(嫌い)」の想いをそう思い込んでしまっていることに意識を向けなくては、変わりません。
塾生:“想いはじめにありき”ですね。意識するだけで変わる。ということ。
センセ:そう、苦手とする習慣を変えたいなら、実際の行動を変えるよりも意識を変えることの方が結果的に早道です。苦手ではなくなっている自分をイメージできればなお、変化が早まります。
塾生:「苦手だ」という意識、想いに囚われているから変われない?
センセ:そう、仰る通りです。
心の問題は、気づかないうちに習慣化していることが多いもの。ある場面での対応方法や情報処理の仕方も、本人の想念の癖や習慣に由来しています。
上記の一例のように「自分は○○が苦手」と習慣的行動(想念)を正当化してたとえば、始業に遅れる言い訳をし、“苦手”に対して周囲の理解を求めます。
「自分(我)を正当化する」その心は多くの問題;トラウマを抱えています。
その認識(問題意識を持つ)まで“嫌”や“苦手”に囚われ続けますから、心は“がんじがらめ”、とても不幸な状態です。
苦手意識は心の問題であるということに気づくことだけでも心は、囚われから開放されて軽い気持ちになりますから、苦手意識と向き合うことが大切です。。。
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あなたの心、どれくらい開いている?
心は移り気?で・・空模様にもたとえられます。たとえば「“晴れ”時々“曇り”」なら開いていたと思ったら閉じていた?って・・どうしてそうなっちゃうんだろ~^_^;ゞ
塾生:心が広いとか狭いとか・・大きい、小さいって。人によってそうなのかな。いづれにせよ・・心の成長段階によってかしらん?
センセ:そうですね。心の寛容さは価値観によりけり。と言えます。そしてその価値観は心の成長に伴って進化(変化)してゆくものです。心に想う想念が向上してゆくにつれ、価値観も拡がってゆきます。
塾生:相手によって心を閉ざしてしまうとしたら・・過去世のニガい経験から閉ざしたくなるような心の問題がある。ということですね。
センセ:その通りです。心は何らかの問題;トラウマを抱えているために閉ざしがちになっていて、それでは当然、狭くも小さくもなります。が、問題が解消されれば自ずと心は開かれてゆき、もっと楽に生きられますヨ♪
人は、過去世の様々な経験から傷ついています。その傷は深いもの、浅いものと様々。
深く刻まれた傷ほど心は閉ざされており、傷口に触れられることを拒みます。その状態は了見を狭く、寛容寛大などとてもなれない状況です。
わだかまり・とらわれ、想い癖やしこり。これらの心の問題;トラウマは価値観にも多大な影響を与えているため、開きたくとも開けなかったり、「相手によって」閉じたり開いたりするように感じたり、そもそもの開き方が分からなかったり、、、等々します。
各種ある心の問題から解き放たれた心は自然と開かれ、再び閉じる(閉ざす)必要もないのです。なぜ?って。。心は開くためにあるのだから。。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;
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「嗜好」といえば真っ先に食べ物の好みを想い浮かべたり。日常、私たちは様々な物事を「これがいい」「あれがいい」と選択して取り入れ、生きている。
そもそも・・「超気に入った」とか「それNG×」って・・どうして?なぜそう思う?の。。その“想い”はどこから来ているのかな。
塾生:一般的に「気に入った物に囲まれて生活するって幸せ♪」と言われます。嫌いなものは選ばないでしょうから・・自ずと「好き」な物が身の周りに集まっ(引き寄せ)てくるのでしょうか。
センセ:そうですね。仰るように。。「好き」と思えば喜んで所望しますね。一方「嫌い」なものは望まない。けれども・・必然と「嫌い」なものが身近に寄せられる場合もあり、いづれも「嗜好」によって引き寄せていると言えます。
塾生:「好き」との思い入れや「好き」にとらわれると強く所望しがち、「嫌い」も“イヤ、避けたい”と強く思うほど、嗜好的な偏りが露見するよう「引き寄せられる」という形で現れる。ということですね。
センセ:そうですね。嗜好は心の想念が投影されていますから、心に思うことが現象として、本人に理解しやすいように示されているのです。
“好み”はそもそも、過去世の幸不幸の経験が“好み”となって心に定着したもの。
心の思考は「嗜好」となって、私たちは自己の“偏り(偏見)”を知ることができる。
自らの嗜好を意識してその“好み”を観察してみたなら―――“偏り”などの心の癖を知り得て、心はまた一段と成長してゆくのです(^_-)-☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;
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「ごめんね」と「ありがとう」はどちらも心を育む言霊が籠められています。
え?何ナニ・・?「謝ったら負け」?「感謝するだけ損」?「ありがた迷惑」??ってな想いもすべて自己意識が抱えた問題により心は傷つき荒み、栄養不足になっているようです。
塾生:日本人はやたらに「すみません、スミマセン」とペコペコ頭を下げると諸外国の人から見られているようです。然したる意味もなく“謝る”というのはいかがなものかと・・・。
センセ:そのようですね。ただ、実際には“意味なく”謝っているわけではなく習慣的な“癖”の場合もあると感じます。それはそれとして・・
「すみません」と「ごめんなさい」では、言霊の作用が全く異なりますから留意するとよいでしょう。
塾生:「すみません」は“謝る”ことになっていない?
センセ:そうですね。単なるご挨拶か社交辞令のような意味合いですね。一方事を荒立てず、大事(おおごと)に至らずに済む「ごめんなさい」は最も無難。日常的な習慣にする言葉としては適しています。
トラウマ(心の傷)があると心は荒み、人間関係に軋轢が生じやすくなる。
上記の一例のように、おいそれと「ごめんなさい」と謝りたくない、謝れない安易に「ありがとう」が言えない、感謝できない頑なな心になってしまっている。
「ごめんなさい」の心からの詫び(謝り)も、心からの「ありがとう」の感謝も心の状態によって素直な感謝に至らず、心はますます栄養不足。
「ごめんね」「ありがとう」を素直に感じられる心へ。それにはやはり―――
「ごめんね」「ありがとう」の言霊を意識して心に想うこと。なぜなら。。
感謝は心の栄養素だから。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;
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まだ、物事が起きていないうちから、ああでもない、こうでもないと考えあぐねることがある。「こうなったら心配」、「ああはならないだろうか・・不安だ」・・・。
その取り越し苦労はどこから来ているのだろう。。。
塾生:待望の子が生まれてから、将来の不安がいろいろと出てきています。今まであまり気にも留めなかった教育の在り方とか・・が気になったりして。
センセ:そう♪それは。。親になったという“証し”でもありますネ(^_^v
それに。。その不安要素は今(今生)に始まったことではない。でしょう。
塾生:やはり、過去世で・・?(う~ん・・そんな気も。。^_^;)
センセ:そう、その“気がする”通りですヨ(^_^♪
過去世は今よりももっと暗澹たる時代背景、その時々に生きてゆけるかどうか毎日が不安との戦いでした。無事に暮らせる今が本当にありがたいくらい。
塾生:過去の不安が今これからの不安を前倒しに呼び覚まされているのですね。
つい、私たちは取りこし苦労をしているのかもしれない。それは大抵、過去世の辛い出来事、苦(ニガ)い経験が活きており、それらを真正面から受け止めず、受け容れられなかったためトラウマ;心の傷となって現れている。
心は“受け容れられていない”物事、そのこと自体に不安を露わにする。それは心がトラウマ;心の傷という“不安要素”を過去世から抱えたままであればこそ。
“取りこし苦労”。それは―――
心の不安要素であるトラウマ、心の傷の現れだから。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;
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