心のレシピ

人の心は本来もっと自由で心地がよいもの♪


心のレシピは あなたが本来の心を取り戻すためのお手伝いをします。

Lesson 71 幸福感は心の成長とともに

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 キレイな心は、清らかな善い想念から。善い想念は心を幸福感で充たします。

私たち人は皆、幸福になることを望んでいます。え?そんなことない?諦めてる?

「どうせ、幸せになんか・・!」ですって?何故か・・そんな想いも(^^;


塾生:幸福を求めるって何だか・・エゴ?、傲慢ではないでしょうか。


センセ:そう。。求める幸福の形は 人それぞれ。“形”ゆえ、物質的な豊かさにより、幸福であるかそうでないか、その度合いを図るしかない。

 

塾生:金があって物余りになっても、それは一時的な欲望を満たすだけで真の幸福ではない。ですよね?

  

センセ:そう。。そもそも、金も品も物質への執着は 物のない過去の時代の名残り。過去世では衣食住を思うままに得ることを望み、その望みが叶えば幸せなはず。そうひたすら、物質的な豊かさへ励んできた。 

 

塾生:物質的に満足し得ても、幸福感は得られていない。

  

センセ:そう。。どれほど物質を得ようと、肉体には限りがある。欲望のままに金品を得るための四苦八苦によって内なる心は傷つき、疲弊したまま。肝心な心がその状態では不安、物余りでも幸福に感じ得ない。


塾生:今までの、物質的な幸福、その「形」に拘って求めれば当然、傲慢に。


センセ:そう。。物質を得ているがゆえの慢心。肉体ありきに胡坐を掻き過去既に傷つき、疲弊したままの心では 真の幸福は感じ得られず。

  


 4世前(縄文~弥生)、現代より物無き時代も、魂や心は重んじられてきた輪廻転生を繰り返して物余りの時代に移行するも、過去世における生き様は今に

引き継がれ、物質如何に関わらず、魂や心は更なる成長と進化を求めている


 物無き時代の方が、心が安らかであったとは言い難い。何故なら、生きようと必死にならなければ生きてゆけない状況であったから。


 過去世の激しい生存競争の末、安心得られないままに幸福を諦めてしまった人々も少なくない。同情の余地はあれど・・そう諦めることなかれ、


 その想い、「幸福になりたいって傲慢では?」に表れている、過去の不幸へのとらわれを意識し、不安要因の自覚して心の成長を促すこと。そうして過去世の囚われから解放された心は安らかに、自ずと真の幸福を感じ得るようになる

 

なぜって。。

「幸福感は心の成長とともに」あるから。


 何の気なしに口をついて出た言葉も、改めて意識してみれば・・傷ついた心の様子が見えてきます。気づけたのも成長のうち。ですが、その傷を癒してこそ心は健やかに、成長が促されてゆきます。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

次のLessonは・・・

 不安は心を映す鏡

Lesson 72 不安は心を映す鏡

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 「安心」は文字通り、心の安らかな状態。“安らかな”とは 健やかでキレイな心のこと。

「体は健康そのもの(自信アリ!)だから、心も当然!」であるはず。ですが・・(^^;


塾生:目には見えないものって・・どこか安心できなくて。だから不安?なのでは。


センセ:そう。。肉体ありきに肉眼や肉声、触れられるから信頼や安心を得やすい傾向はありますがそれでも、太古の昔より、人力の与り知らぬ事は神仏に委ねる。神頼みは一心に祈る「信心こそ叶う」など、目に見えないものを信じる心が宿っているのも否めません。

 

塾生:結局は・・「信じる」かどうか、が安心に繋がる??不安を圧してでも?

  

センセ:そう。。でも、それは無理。なぜなら、圧せば、不安は増してしまうでしょう。

過去世にて、驚愕や恐怖、畏怖や強迫観念に囚われたことで心は傷ついており、不安な情況です。ゆえに安心できない。にも関わらず、不安な理由、安心できない理由をそのキッカケとなった目に見えないものへすり替え、肝心な自身の心の問題を余所にしているゆえ不安。

 

塾生:過去世にて、信心していたが救われず・・無残な死に方を。そもそも・・信じていなかった・・のかも?

  

センセ:そう。。むしろ「信じる」ことよりも「当然、救ってもらえる(死なない)もの」という自負、慢心ゆえに「無残な」結果は招じたのです。信心は保険だったようですね。


塾生:惨たらしい事態を招いたのは・・そうしない選択の余地もあったのに、一抹の不安を圧して意地になって己の主張を曲げず・・その自分の傲慢さに気づかせるため。ですね。

  


 不安は“憑きもの”。であったり、不安は外にあるのではなく、内なるもの。でもある。

 

過去世は決して、今世より安泰に生きてきたとはいかない実情があり、今、まさに感じているその不安は、内なる心の問題に本人が気づけるよう、その苦しい情況を映している


なぜなら。。

『 不安は心を映す鏡 』だから。


 何かオオゴトが起きなければ 感じることもないけれど・・ちょっとした不安は潜在意識に刻まれた過去世の記憶が、今起きている出来事にリンクして、浮上したもの

 

 その不安を改めて意識してゆくと・・心が抱える問題が自ずと見えてきます。

内なる不安に気づいただけでもめっけもの。心の不安を意識的に見てゆくことで心は安心し、心身共々「健康で安心!」に。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

次のLessonは・・・

 心の成長は価値観の拡がり

Lesson 73 心の成長は価値観の拡がり

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 キレイな心は、清浄な善い想いから。善い想念は心をキレイに、健全化します。

日常的な想い、実は・・その想いが心の成長を阻み、価値観を狭めることにも。


塾生:心はキレイな方が理想的ですが、イヤなものや苦手なもの(人)があってはなりませんか?


センセ:物事(人)への嗜好的考え方は固有のもの。イヤも苦手もいづれも自由意思によるもの、尊重されて然るべきことですから「ならぬ(イケナイ)」わけではありません。


塾生:でも、苦手なものを遠ざけるような想いは・・善くないですよね?


センセ:善いか悪いかはともかく「何故そう(苦手と)思うか?」を意識し、その要因を知ることは心の成長である健全化を促します。

 

塾生:苦手なものを思う時、心が落ち着かなくなって・・正直、不快です。

  

センセ:それは心の容態。「苦手(イヤ)」との想いを不快(な想い)として、意識が味わおうとしているゆえです。その想いが「快い」か「不快か」を知り、経験するために。 

 

塾生:そうか(!)苦手やイヤは、心にとって「快くない」のですね。だから、落ち着かなくなる。これは平常心でもなく「健全」ではない。不平不満なんかも湧いて・・苦笑

  

センセ:その “気づき” が大切、心の成長である健全化を促します。不快なだけに「あってはならない」と遠ざけているうちには、そのように気づけなかったことでしょう ^^♪



 心は 健やかな成長を望む。成長を促す “気づき” は、日常の要所要所に散りばめられているが、否定や拒絶、苦手意識等々の不快な思考や感情が先立ち、その想念に囚われているうちは気づけるものも気づかずにやり過ごしている


 “気づき” を阻む、過去世の傷や澱みは、癒し、さらってこそ健やかな心へ。 


 ふいに浮ぶ不快な想いは、深く心に宿る想い。その想いに気づき、心がキレイな方へ健全化されれば、自ずと不快な想いは清浄化されて心穏やかな、快い想いに転換されるするとーーこれまでの価値観は修正され、より大きく拡がってゆきます。


なぜなら。。心の成長は価値観の拡がりーーーゆえに。


 日常的なその想いへ、意識を向ける時ーーその不快感、心の不安な容態を知る。その気づきにより、心はキレイになるべく 成長が促されるのです。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

次のLessonは・・・

 心に残る想い

Lesson 74 心に残る想い

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 キレイな心は、健やかな想いから。善い想念は心をキレイにし、幸運を運びます。

日常的な想い、ふと浮かぶ想い、何かのキッカケに湧いた想いなどなど、その想いに心の様子や状況、成長段階=健やか度が現われています☆″


塾生:先日、苦手な相手から小言を言われ、そんな言い草はあんまりと正直腹が立った。よほど、言い返してやろうかと思ったが、大人気ないと堪えた。


センセ:「苦手」な想いがあると、どのような状況にせよ、自ずと関わり合いを避けようします。言い返せば、関わらずにはいられなくなるから。堪えることでその場はやり過ごせても、思い返せば。。あまりよい心地はしないでしょう。


塾生:そう・・ですね。目上(立場上)の人に、口答えはあまりよくないかと。


センセ:好し悪しではなく、「口答えがよくない」と何故そう思うのでしょう?自由意思ですから「絶対的に従わなくてはならない」ことはありません。“ねばならない”との思い込みは、心がその想いに囚われているためです。

 

塾生:一般的に「こうあらねば」ってことがほとんど。では?

 

センセ:そうですね。今世だけを生きているのではなく、過去世がありますからそれだけ「こうあらねば」との思い込み「とらわれ」は多いでしょう。持前の思い込みが自らの自由意思を不自由にし、とらわれにより心を束縛しています。


塾生:心が狭いとか、不自由さを感じるのは・・思い込みによる、囚われのせい?


センセ:そのように“思う”通りなのです(^^♪


 相手(言い草も含む)を気に入らないから、逆らいたいような気持ちは、高慢への依存「とらわれ」、立場や権力に対する抵抗感ややっかみなどは劣等感の裏返しで「わだかまり」となって心に残っているケースが多いもの

 

 過去世にて、とらわれてしまった想い、わだかまってしまった想いが心に、不条理や不本意、解せない、納得がゆかない、しっくりこない、合点がゆかない等々のもやもやを残し


 それら過去の心残りは、心地よくない状況や結果を生みだすもと。苦手やイヤなど不快な思考や感情が先立ち、その場は我慢などで堪え、やり過ごしたとしても、心残りはそのままゆえに、同じような状況に陥っては不快な思いをしてしまう


 その不快な心残り、キレイさっぱり解消するが先決-♪


 想いは、心の状況の現れ。思い込みによるとらわれやわだかまりが解消し心の状況が改善されれば自ずと心残りがなくなりーーー健やかでキレイ☆″に。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

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 悩みは心の習慣

Lesson 75 悩みは心の習慣

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 キレイな心は “赤心” と云われ、広くて大らかで安らかな幸福感に充ちています。

私たち人は、過去から大なり小なり様々な悩みを抱え、常に穏やかとは云えない毎日を過ごしています。心穏やかでないその悩み、もしかしたら常習的かも・・^^;


塾生:たとえば、朝一番に必ずトイレに行くとか、食事の後に必ず歯を磨くのも習慣ですが・・人から何か言われて、ムッとしたり「癪に障る」のも・・習慣?


センセ:そうですね。大概、過去の世における “悔しい” 想いや劣等感などが「怒り癖」として心に傷を残し、習慣化されています。


塾生:!「想い癖」ですかぁ~トラウマとくれば・・ 解消できるってわけですね。

  

センセ:そうですね。「想い癖」の解消にはちょっとしたコツがあります。「ムッ」の瞬間的な腹立たしさ、その時 あなたの心はどう感じてる?

  

塾生:ハッキリ言って・・面白くない。不快だね。


センセ:そう、少なくとも穏やかではない。不穏さは不安を生むもと。当然不愉快でしょう。快くないから不快で心地良いはずがない。


塾生:そうそう、仰る通り。何でこんなん言われなきゃならないの?とか“悔しい”?かな、その時の状況が浮かんでくる感じ 。。>_<

  

センセ:そう。過去の世にて、悔しさ(劣等感)を圧しこめてきたことが「怒り癖」のそもそもの要因。心にとって“悩み”の種に。


 不快さを思い返すこと。そうして、その気持ちを堪えずに表へ吐き出して圧し籠る“想い”を解放しましょう。。 


   

 大いなる悩みの種、ちょっとした悩みのもと。悩みのない人はほとんどいない


とはいえ・・ちょっと待って。そのお悩み、大概が過去の世に痛感したある“想い”から当然の習慣や、無意識(顕在意識における)の癖となっている場合が多く、意識してケアを行うことで悩む必要もなくなり、不安が解消されると安心感が増します


なぜなら。。

 悩みは「心の習慣」だから。


 心へ残された傷は “そうせざるをえない” 癖や習慣を生み、常習化した想いを解放し傷が癒えることで、心はキレイに。日常的な健やかさと大いなる安心と


 安らかな幸福感に充ちてゆきます。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

次のLessonは・・・

 幸せは心の安らかさ

Lesson 76 幸せは心の安らかさ

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 キレイな心は、安らかな想いから。安らかな想いは心を幸福感で充たします。

私たち人は皆、何らかの不安を抱えて生活をしていますよね。え?不安はない?!

それはそれは幸せなこと♪ なれば・・日々幸福そのもの~♫ のはず・・(^^;?


塾生:「ないよりある方が幸せ」だと思うのが一般的ですよね?たとえば・・金や才能、権力や美貌、、、などなど


センセ:そうですね。そのような“思い込み”が深く、意識に刷り込まれていますね。実際、あることが必ずしも幸福感へ繋がっていない現状は多々見受けます。

  

塾生:金や美貌があっても 幸福ではないのは、カルマやトラウマのせい?


センセ:そうですね。金品や名誉、能力や美など、目に好く映るものは愛着や固執を生みやすく、その執着がカルマやトラウマを生み、心は傷ついています。


塾生:カルマやトラウマが解消すれば、幸福になれる。ということですね♪


センセ:そうですね。心の傷は深いものから浅いものまで様々あり、傷が深いほど不安も大きく、持つものがあろうとなかろうと不安ゆえに幸福ではないのです。



 不安のない人はいない。過去世は現世よりも不穏な世の中であっただけに。

 

 傷を抱えたまま生きる不安、心にとってその傷は、片時も安心できないから当然、幸せなぞ感じるわけがない。たとえ、どんなに金品や名声を欲しいままに与えられようと


才能や力量に富み、頭脳明晰&容姿端麗など、肉体(物質)界に恵まれようとも。


 心にとっての幸福は安心。少なくとも、

傷を残すような不安要素(執着など)がないこと。


『幸せは心の安らかさ』ゆえに。


 心を思いやることはとても大切。敢えて、心の不安に目を向ける時ーーー

傷ついた心の容態が、痛みや苦しみ、不安となって現れてゆきます。


 目を逸らさずに看てあげて。そうして不安な心を安心させてあげましょう。。♫ す・る・と・・


心の傷は癒え、健やかな成長が促されてゆきます。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

次のLessonは・・・

 安心は心の幸福

Lesson 77 安心は心の幸福

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 キレイな心は、幸福感い~っぱい♫です。 不安がなくて安らかで、穏やか。

 心が幸福を感じている時、何の不平不満も湧かないから、アラ不思議 ♪ って・・

人なら誰しも、不平や不満の一つや二つくらい、あって当然!?だから。。かナ?


塾生:特に不安はないが、不満に感じることはあります。不公平だったり、平等?ではない。とか、、諸々。


センセ:そうですね。社会への不満は人の不満。不満は何より、心が満たされなければやはり「不満」でしかない。

 

塾生:実際に欲求が満たされれば、ある程度は満足がゆく気がしますが··?

  

センセ:そうですね、その欲求不満は、心が発しているもの。仮に、欲する能力(才能·権威·名声etc.)や色情などが得られたとしても、心が満たされることはないでしょう。


塾生:つまり..心の不満は、物質的な欲求を満たすことでは埋め合わせ出来ない。ということですね。


センセ:そうですね。不満はそもそも、これまで、物質的欲求を満たすことへ奔走するあまりに、心が疎かにされ傷ついているため。その状況は、心にとって死活問題に値し、不満を生じやすくします。


塾生:その..心が傷ついていることが、不満のそもそもの原因なら..先ずはトラウマの解消を図れば、不満も解消しますね♪

 

 その想い「不公平や平等でない」に表れている、それら過去の体験から劣等感(優越感)、裁くこと((責めや咎(とが)め))、蔑み(卑下)や嫉み(悔やみ)の“想い”がわだかまりやしこりとなって心は傷ついている。


 「不満」の根本要因はその心にあり。


 社会への不満は「人」への不満。先ずは自己の心が発する不満な心の状況を意識してケアしましょう。


 心を意識し、心が発する不満などの“想い”へ耳を傾ける。そうして、心が抱える問題に気づいて、過去の傷が癒えるにつれ、心は安心して幸福を感じられるように。

 

なぜなら。。

「安心」は心の幸福。だから。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

次のLessonは・・・

 心許ない言葉

Lesson 78 心許ない言葉

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 キレイな心は、清らかな想いから。「想い」は心の様子を現しています。

不安や心配、喜びや感動など、“想い” によって 心は揺れ動き、一喜一憂して忙しなく

ちょっぴりビジー(busy)状態。願わくば。。も少し穏やかに生きたいものですネ (^^ ♪


塾生:「ごめんね」や「ありがとう」をやたらと口にするのはどうでしょう。

  

センセ:そう。。「ごめんなさい」は罪滅ぼしの言葉「ありがとう」は癒しの言葉。言霊は 発する本人も含め 受け手へと伝わり、双方に影響を与えていますネ。

 

塾生:誠意や本心からではなく「本当にそう思ってる?」のか疑わしく思えて・・。

  

センセ:そうですね。。 過去世の苦しい経験を経て、口走らざるをえないでしょう。恐れや不安などの強迫観念から逃れたい、避けたい一心で。それはそれ。で・・


塾生:「受け手」はどちらも当事者。なれば・・私の心が抱える問題提起にも?

  

センセ:そうですね。 「ごめんね」を度々聞かれるのは、慢心(我慢)や自負心から安直な謝罪に至らず、逆に、不安要素である自責の念を避けてきたゆえに。

   

塾生:気づけばよく口にする「スミマセン」がそう・・かもしれませんね。


センセ:そう。。 お気づきの通り、自責を避けるための 心許ない口実ですネ。

  


 「ごめんね」や「ありがとう」が 安直に思えないのには 相応の理由アリ。


 上記の一例にある、自らを責める あるいは、責めを受けるのを避けてきたのは過去世にて 罪深さを痛感し、それを容認し難かったことに起因するもの。


 容易に「ごめんなさい」すれば、それと認めてしまうことになる。だからそれは出来ない。せめてもの「スミマセン」も、その 済まされない 心の現れ。


 許容されない心は、心許ない言葉「済みません」を吐露して、問題提起。


 なぜなら。。

 「心許ない」言葉は、心の不穏さを指し示しているゆえに。


 普段、何の気なしに口をついて出る言葉にこそ、

その心(想い)の様子が現されています。その問題に気づけば粗方解消 ♪

 

 ほんの少しの勇気を出して、自らの心と向き合う時ーーーぐぅ~んと心は磨かれてキレイに、幸福感が充ちてゆきます。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

次のLessonは・・・

 心残り

Lesson 79 心残り

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 キレイな心は 清らかな善い想念から♪

善い想念は 心を幸福感で充たします。

    

 私たちの心は ちょっとした気掛かりや心配事があると落ち着かず、常習的な不眠を招いたり、不安に駆られてネガティブな思考に陥りやすくします。放って置くと 身体へも悪影響を及ぼすことに..(> <;


塾生:今はそこそこ 不自由なく暮らしていますが、過去(世) ずっと貧乏だった事が「何で?」と気になっています。


センセ:そうですね、(過去世より)今までご自身なりに安定的な暮らしを求めて “前進あるのみ” で生きて来られた。ゆえに「今のゆとり」あってこそ、過去(世)の不自由が思い起こされるのでしょう。

 

塾生:そうなんです。今更ですが··過去(世)でもゆとりある暮らしを望まなかったわけはないような..?気がして。

  

センセ:そうですね『望めば与えられる』が世の常。ですから、安定は望んでも、富裕は「望まなかった」のでしょう。ことに..金&権力に対して、苦い想いがあるご様子。 

 

塾生:確かに。金と権力は苦手ですね。併せ持って··· 好い思いがしない。財を築いて裕福であっても 権力を笠に着ては、幸せそうにはとても見えなかった。

  

センセ:そうですね。今世の過去にも、その“想い”は鮮明に残っているはず。それほど..金と権力の結びつきは強固で、財による絶大な権力の栄枯盛衰を切実に感じてこられたのです。


塾生:金の力で好い思い出がないから、特に過去世においては「金持ち」で「権力者」である事を望まなかった。


センセ:そうですね、お気づきの通り..

あくまでも、本人がそう望むから与えられるのが常。気掛かりが解消してなお一層、心安らかに過ごせそうですネ(^-^♪


 そして、これも世の常ながら..


 財を持つも、財を権力に替え、行使にどのような采配を振るうかも、そう望む者の意思に準じて望んだなりの責任は 本人へついて回わります。


 貧困であれ、富裕であれ、いづれも「金=力」への欲望とそれに伴う葛藤により、すでに その心は傷つき、不調を訴えている


 過去世の苦々しい思い出が、今のちょっとした気掛かりや心配事などの不安を呼び起こし、常時 安心して健やかな毎日を送れない。その結果、不眠症や身体の不具合として 心の様子が表面化し現れる


 それは。。過去(世)の

 「心残り」があるゆえに。


 改めて、心を意識してみると・・

ある“想い”が浮かんできます。それって 


“不安”な想い? それとも··“楽しい”想い?

  

 たとえば.. “不安”だと気づいた。それだけでも 心は介抱され、傷は癒やされてゆきます。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

次のLessonは・・・

 充たされない心

Lesson 80 充たされない心

☆・:*:・°☆・:*:・°'☆・:*:・°'☆・:*:・°'☆・:*:・°

 キレイな心は 健やかな想いから。健やかな善い“想い”は 心を幸福感で充たします。


心から幸福を望んでいるわりには 毎日が「幸せいっぱい♫」でもないのって・・ナゼ (’ ’?



塾生:その時々で、それしか選択肢がなかったから、そうして来たことを積極的に「そうしたかった」かのように受け取られるのは不本意というか・・不服です。



センセ:そうですね。その選択肢は 少なくとも、ご自身が “それしかない”とそう思った。そして、その先の行動を決めたのも本人自ら、ですね。



塾生:・・確かに。でも、そうしたかったわけではないです。


センセ:そう。。やむにやまれず、そうせざるを得ない状況へ追い込まれた事が自らの心に傷(トラウマ)を負った要因になっていますから、その傷が癒えないうちは不服でしょう。 


塾生:(自分の)3世前に自決を迫られたことよるものですか?


センセ:そうですね。そもそも.. “迫られた” ことは キッカケに過ぎません。命の尊さを鑑みれば 自殺を避け「生きる」選択肢も残されていました。



塾生:迫られたのは事実です。実際、どうするかを決めたのは・・あくまでも(?)自分?



センセ:そう。その行動の責任は「命を尊ぶ」という"心づもり"から。心に負った傷を思いやってこそ 傷は癒えゆき、たとえ“そうしたかったわけではない”状況にあったとしても、傷の癒えた清らかな心では不本意はなく、不服に訴える必要もないでしょう。


  

 「幸福が好い!」に決まってる心は、その状況を過去世より今世へ伝えて来ている



 過去世当初の 自らの“想い(考え方)” から “そうせねばなぬ”との思い込みは心を縛りつけ、そう頑なに思い続けるほどに 深手を負ってきた心。



 その傷は心にとっての不本意。したがって、本人自ら 意識的に癒やされるまでは不服を訴えて“幸せ”を思えず。当然、幸福感こそ感じ得ない。



 それは。。 


 「充たされない心」ゆえに。



 常に“想い”を発している“心”を 改めて意識してみましょう。すると。。心は応え


自らの充たされない“想い”を伝え、教えてくれます。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;






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