人の心は本来もっと自由で心地がよいもの♪
心のレシピは あなたが本来の心を取り戻すためのお手伝いをします。
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キレイな心は 安らかな“想い”から。安らかな“想い”は 心を不安から救い、大いなる安心をもたらします。不安なき心こそ幸福感いっぱいに🎶
塾生:仕事をしてお金を稼いで、結婚して家庭を持って、、が普通のこと。だからそうした方が望ましいのでしょうけれど...?
センセ:そうですね、一般的には。ただ、いかに「普通(一般的)」であれ、そうする、しないは本人の「自由意思」が最優先されてのこと。
塾生:仕事したくとも出来ない、仕事に就けないとか、続かない理由は周囲はどうあれ、結局は本人にある。ということですか?
センセ:そうですね。仕事であれ、結婚であれ、、同じことです。「しない」「出来ない」理由も、そうせざるをえない不安要素が心にあるゆえ「しない」「出来ない」となるのです。
塾生:たとえば…今やっている仕事を「辞める」「辞めない」理由も不安から安心できない心の状況が反映されている?
センセ:そうですね。そもそもの過去世において、自らの逆境を受容出来ず、自己犠牲や自虐などで圧し殺してしまった事が心に“痼り”を残しているゆえに、安心できないのです。
「あ〜んしん♡」は、心からの願い。なのに…
人はその「心」に、多くの不安を抱えて生きている。疲弊し、喘ぎ喘ぎ。
そのような中で天変地異は起き、未曾有の大災害や感染症流行、戦争や恐慌、情勢不安定な出来事をキッカケに
過去世の受容されなかった“想い”を呼び覚まし、不安要素は吐き出されてわだかまりや痼りなど心の傷が顕わとなる
その「傷」こそ、自ら癒して安心を得るために。
何故なら、それはーーー
「こころの心配事」ゆえに。
常に“想い”を発している“心”。改めて意識を向ける時。。
不安な“想い”をそっと教えてくれます。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;
次のLessonは・・・
コリは心残り
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皆さ〜ん♡「最近。。特に肩が凝って、、」なんてこと、ありません?それって、、年齢のせい⁉︎ばかりとも限りませんよぉ〜ヽ(´▽`)♪
塾生:善かれと思って言ったことに、度々反発して来られれば、いい加減諦めたくもなる。けれど…何とかならないものかとつい気を揉んでしまう。
センセ:そうですね、責任を重く受け止めておられるご様子。身内ならでは、とは云え..やはり諦めきれない。
塾生:アドバイスのつもりで世話を焼いてしまって。性懲りも無く(苦笑)
全く以って肩の凝る話です。。溜息。諦めきれないから..余計に肩が凝る!?
センセ:そうですね。それほどに因縁の深い相手であればなおさらでしょう。過去の世で成し果たせなかった役目に対する自責の念が、心に“しこりを残しています。引き受けた責任から「何とか、、」と諦めきれないのです。
塾生:役目ならなおさら。一旦引き受けた以上は最後まできっちりやり遂げるのが筋だし、、そういう性分なのかもしれません。
センセ:そうですね。その当時、一級のお職人であっただけに不本意で、やり遂げられなかった責任の重みを “情けない”想いと共に、都度感じて来られたでしょう。肉体に現れている通り.. 「肩が凝る」のはそのためです。
慢性的な肩コリを訴え、上記一例のように、心に強い念を残しているケースは少なくない。
自由意思に伴う責任感。責任感は強過ぎれば、責任追及のために人を追い詰め、自ら責めを負う余り心を深く傷つけ、しこりを生む。
自責の念にとらわれているため、自分(もしくは相手)を責める傾向が強く、しこりが解消するまでは諦めきれず、肩の凝りとして顕在化している。
何故なら、その‘コリ’はーーー「心残り」があるゆえに。
常に “想い”を発している心。その様子は身体にも現れています。改めて、意識を向けて心と対話する時ーーー幸福感に満たされない“想い”を伝えてくれます。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;
次のLessonは・・・
知ることは心の幸福
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キレイな心は、幸せいっぱい♡善い“想い”は心を幸福感で充たします。
「幸福でありたい♪」から。。 先ずは、心をキレイに晴らしてゆきましょう〜♬
塾生:物質的に十分であるはずなのに、それでも求めてしまうのは強欲ですよね。過去世で十分なものが得られなかったから、、その反動?
センセ:そうですね。過去世を含めた人類史上、「物余り」と聴かれるようになったのはごく最近のこと。過去より長年、欲求が満たされずに我慢で堪え忍んできたゆえの執着あり、 衝動に走ってしまうような強い欲求ほど、心の傷“とらわれ(トラウマ)” がその引き金となっています。
塾生:なるほど〜強欲はトラウマが原因(!)。欲しいものを手に入れても結局は心が満足しなければ、、同じ事を繰り返す?トラウマがあるから?
センセ:そうですね。そもそもーー欲求が満たされないから余計に欲しがるのも、私たちの本質であ‘心’が満たされていないためです。心は物質ではないので、物質的なものでは贖えず、傷は癒えません。
塾生:心にトラウマという見えない「傷」があるから満足出来ない。「モノが手に入れば満足」とか「コレに囲まれて幸せ~♪」なんて思い込んでるけれどその実、トラウマがあるから、心から幸福を感じられないってことですね!
何となく。。 気が晴れたような。。 (心が)軽くなった気がします ww
センセ:嬉しそう^ ^ トラウマは重荷ゆえ。。 その負荷、ご自身がトラウマを認知されたため、心の荷が軽くなったのでしょう♪
「人」の本質は「心」。見えないけれど、この心は確かに存在する。
そして常に、心の声は発せられ、思わぬ言動や行動、態度などに影響を与え、それら目に見える形に現れている。自らの状況を知れるように。
なぜなら。。
「知ることは心の幸福」ゆえに。
「私」が私の心を知ること。常に、意識的に自身の心を思いやることは自らを幸福へ導くことに繋がっています。。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;
次のLessonは・・・
‘楽’ は 不安なき自由な心
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キレイな心は 安らかな ‘想い’から。「安心」は安らかな心の様子を示し不安がなければないほど不満もなく、幸福感に満たされてゆきます ^ ^♪
塾生:楽をすることはあまり良く思えない。たとえば、自ら働きもせずに、他者の稼ぎをあてにするなど、働かずに楽をすることが狡く思えて。
センセ:そのように「狡く」思えるほど、ご自身は苦しい想いで働き、一所懸命に稼いでこられた。それゆえ、貴方と同程度か。。もしくはそれ以上に働いている人は好いが、そうでないと認められない。
塾生:そうですね…「働かざる者、喰うべからず(諺)」の想いかな、狡く思えてしまうのも。他者(弱者⁇)への施し(お布施や寄付など)はしませんので。
センセ:仰る通り。。働いていることが唯一の、社会に認められることだとの‘想い’が大きいのでしょう。その‘想い’は、ご自身の過去世に由来します。
周囲に認められることに一所懸命で、認められる(認めさせる)ために、賢く時に狡猾である必要があった。貴方にとって賢くあるのは好い反面、狡(賢)いことは認められなかったため、自らを受容出来ずに苦しんでこられた。
塾生:なるほど、他者に対する「狡い」は、自らの「狡猾さ」なのですね。ありがとうございます、前世にどうも。。その発端がありそうです ^ ^♪
センセ:お気づきのように。。「楽して狡い」は、他者との比較(優劣)より生じたもの。賢ければ優越、狡猾は劣等、今の貴方にとっての「楽」は劣等感が先立つために「楽して劣るなど以ての外」ゆえ、本心では楽をしたいが楽することを赦さない‘想い’である「狡い」が自らの心を苦しめています。
「楽したいが、楽をすることに申し訳なさや罪悪感がある」
と仰る方は多い。それでも、やはり「楽したい」と本心は訴える。
過去世、生きるのがやっとだった時代の産物「働かざる者食うべからず」にとらわれ、申し訳なさや罪悪感などが ‘わだかまり’や‘しこり’、‘想い癖’となって 心が深く傷ついてしまっている。
それら‘トラウマ’により苦しめられ、楽ではない心は、不満を訴え、ただ不安でしかない。
なぜなら。。
「‘楽’ は 不安なき自由な心」ゆえに。
相手が自分であろうと、他人であろうと「人」に対する‘想い’を改めて意識する時ーーー傷ついた心には、不満や不安な‘想い’が浮かびます。
その心の不満に気づいて、不安な‘想い’を見つめてあげられたなら心は健やかに、成長が促されてゆきます。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;
次のLessonは・・・
不満は心の不幸現象
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キレイな心は幸福感でい〜っぱい♡ みんな本心では「幸福になりたい」はずなのに。。。現にそうではなくって、だから。。 不満がいっぱい!?
塾生:世の中、不公平だと思うことはあります。たとえば。。 稼げる人とそうでない人がいること、欲しい物を持てる人と持てない人がいたり、救われる人と救われない人がいることとか、、、。
センセ:仰る通り。。 「不公平」と思う、貴方自身の心が不満な状況ゆえに。
その‘想い’はご自身の過去世に由来します。3世前、信心していた神様に命を救って貰えなかった事に対する無念さがわだかまっています。
塾生:トラウマ(‘わだかまり’)があるから、不公平感が抜けないのでしょうか。
センセ:仰る通りです。当時、貴方は救われなかったが、同じく信心していた馴染みの方は改宗することで命を救われた。ゆえによほど、裏切られた思いから悔しくてしかたがなかったご様子。
塾生:そうですね…裏切りは悔しいですね。「何で」って思っちゃいます。「人はみな平等」だなんて納得がいかない。やっぱり不公平感が否めない。
センセ:仰る通り。。それほど「無念でならなかった」という証です。「不公平」感はそもそも、貴方の心を傷つけている‘わだかまり’に対して、心が感じているもの。ゆえに、その‘わだかまり’の解消なくして、世の中を公平な視野で捉えることは不可能ですから「やっぱり不公平」となるのです。
「幸福になりたい」。それはーーー心からの願い。自分であれ、他者であれ人に対する不満、ひいては社会や世の中に対する不満は、傷ついている心が、自らへ「不幸な状況から救い上げてもらいたい」ゆえに、発せられている。
無念なほどの‘悔しい’想い。その想いがわだかまっている心は不満を訴え自らの傷(わだかまり)が癒えて、解消するまでは幸福を感じ得ない。
不満は、自分の外にその要因があるように思えて、その実、辿ってゆくと己の心の内にあり。幸せではない心が、不幸を表している。
何故って。。。?
「不満は心の不幸現象」ゆえに。
様々に傷ついて、幸福を感じ得ない不幸な心が、不満を漏らしています。その不満な‘想い’に気づいて、傷を癒してあげてこそ。。
心は、晴れて不満なく
安心と幸福感に満ち足りるのです。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;
次のLessonは・・・
心の不安①「楽ではない」
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キレイな心は、幸せな心。その心は、一切の不安もなく、安心感に満ちています。え?「何が幸せか?」一先ず。。その心へ耳を傾けてみましょう^ ^♪
塾生:ずっと外で働いてきたせい?か、引退して楽してるけれども、家で何もしないでいると何だか申し訳ないような…。
センセ:仰る通り。。。落ち着かない。「やりたい」と思うことはあるが、どれも決め手に欠け、明快な意思を示せるまでに至らず。それがかえって引け目や罪悪感を引き起こしているご様子。
塾生:過去世で引け目や罪悪感に苛まれ、とても落ち着ける状況ではなかった。だから?その名残り?でしょうか。
センセ:仰る通りです。過去世にて、家庭を省みずの好き勝手をしてきた結果、幸せな家庭を築くことが出来なかった。その時に感じた‘情けなさ’から自らを卑下する‘想い’が心に傷を残しているゆえ、落ち着かないのです。
塾生:そうか、つい「自分がこうする事によって、家族は幸せかどうか」を考えてしまう。だから…なかなか「やりたい」事が出来ないのかな。
センセ:そうですね、先ずは過去世に起因する心の傷を解消しなくては、心は落ち着けずに、貴方をはじめ、家族や周囲の真の幸福に繋がる「なすべき事」が見えてこない。傷は引け目や罪悪感を生じて幸福を阻んでいます。
「楽したい」は真な心の声。それは「幸せで在りたい」ということ
自分本位にやりたい事を最優先する余り、周囲(他者)を省みることができなくなる。何もそれは他者に限らず、自らをも省みれない状況にある
自己卑下(人を‘蔑む’想い)は、省みずに掛かる負担や迷惑を苦にして、あるいは忌み嫌って「罪悪」と捉え、心は罪悪感として苦痛を訴える
「楽したい=幸せに在りたい」はずの心。なのに。。
過去世より抱え込んできたその‘傷’が 癒えぬうちは
幸せに感じられないゆえ。。 「楽ではない」。そうーー心が溜め息を漏らしているのです。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;
次のLessonは・・・
“ねばならない”想い
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キレイな心って。。 幸せな心の状態のこと。私たちの心は、ちょっとした気掛かりや心配事など、大小様々の不安な “想い” を抱えています。そんなどこかスッキリとしない“想い”に耳を傾けてみましょう^ ^♪
塾生:こうすればいいと分かっていても、なかなかそう出来なくて。
センセ:そうですね。。 “そうせねばならない”のは億劫で気が重たい。
塾生:その通り。これってカルマやトラウマがあるからでしょう?
センセ:そうですね。。“ねばならぬ”との“想い”が「想い癖(トラウマ)」になって心に染み付いているため、否定的にならざるを得ないのです。
“ねば” と強要するほど「そう出来なく」させ、出来るはずと思うことでも出来なくさせて自尊心を傷つけ、自虐的に。
塾生:確かに…イジメてきたかもしれない。「こうあるべき」とか「そうせねば」って思うことは多々ありますね。
心は「理解されたい」。なぜなら。。「私」が幸せに在るために。
「私」の心が、自らの不自由な“想い”より解き放たれて自由へ。安心して幸福を感じ得、充ち足るために。
見過ごされた“想い”。心に引っ掛かる何となくの“想い”から、見えない心が見えるようなって安心が広がります。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;
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