心のレシピ

人の心は本来もっと自由で心地がよいもの♪


心のレシピは あなたが本来の心を取り戻すためのお手伝いをします。

Lesson 21 社会は心の投影

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「私には関係ないから」。本当にそうだろうか。。それでいて、本当に“幸せ”?


A:過去ってさぁ、変えられないじゃん。もう済んじゃったことだし。仕方なくない?

ただでさえ。。今で手一杯だし「今を生きる」ってなんかカッコイイ。


Q:そうだね(^^) ある意味「前向き」な意見かもしれないね。笑

 それはそうとして・・「今で手一杯」な暮らしぶりはどう?絶好調?


A:ま、それなりにフツー。絶好調な時もあれば「最悪ぅ~」って時もある。でも人生ってこんなもんかなぁ~って。


Q:そうだね(笑)絶好調の時はいいとして「最悪」の時ってどんな風に思う?


A:「なんでこうなるの?」とか悩むし、それなりに落ち込む。で「ま、いっか」って。


Q:そうだね、その時とことん落ち込んで“ま、いいか”と思えたなら、少なくともトラウマにはなりにくい。それでも、後々思い出した時に口惜しかったり、ムカつくとか、悲し~(涙)なんて時は、心が傷ついていたって証拠。それに。。そのトラウマは元々、過去世から由来している。「もう済んじゃった」はずの過去世のことが、実は“済んでいない”から、現世にて「最悪ぅ」の出来事が起きているよ。


過去世の心の傷を癒してゆくと少なくとも、今生における「最悪」の事態は避けられる。それは、“因果応報”や“自業自得”と世の真理をつく名言通りの仕組みが働いているから。


すべての人は社会の一員。にも関わらず、たとえば、「私には関係ない」との物事(他者

や社会)へ関わる気持ちの希薄さも、過去世の生き様や経験からきているため、おそらくは関心が薄い分、常なる充足感や幸福感もそれ相応に薄いはず。

過去世に背負った心の傷;トラウマにより“心”は常に不和を抱えていて、それが、周囲の人々(家庭や職場、地域社会)との関わり方に軋轢を生み、一個人から家庭へ、ひいては社会へと波及して今の現実(現状)があります。

「そんな大袈裟な・・?」いえいえ、見ての通り。今ある実状、社会の姿は一個人の心の“想い”が投影されています。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

いつもキレイな心でいたいから。。☆″  

Lesson 22 心“淋しい”人

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心が泣いている人を見かけます。魂に問えば“心が傷ついている”とのこと。

なぜ、傷ついてしまったのだろう。その苦しい“想い”は、過去の世での苦い経験を“思い出したくない”と心の奥底に深く深くしまい込まれていました。


A:秋が終わって、もう冬かぁ。なんか寂しい感じ。暗いのと寒いの苦手。


Q:晩秋から冬への移ろいは詫び寂びを感じるとして・・

   その様子はそうではなさそう^_^;


 A:落ち葉とか枯れ木とか・・晩秋は“ああ、終わりなんだ”って感じて寂しい。

  真っ暗な部屋や夜道のひとり歩きは不安だし、寒い冬となるとなおさら侘し~(>_<)


 Q:そうね。「不安」とか、寒いの“苦手”と思えばそれなりに体も身構えちゃう。

  とは言え、その“お終い”や苦手な想いの根本的な要因は過去の生活環境が

  背景にある。

 

 今でこそ、夜も活動できるような環境は“当たり前”になったが、ついこの間まで日中は外で活動し暗くなれば塒(家)に入る生活環境の方が長かった。たとえば前世(一つ前の世)の江戸時代は、灯りはあれど現代より暗い時代。闇に紛れての危険も多かった。大干ばつや大飢饉あり、口減らしなども常時行われた。人口もさることながら人工的な熱源、エネルギー開発に乏しい分、冬の寒さは厳しかったであろうことが覗える。


 上記の例は、本人の前世にて大干ばつに見舞われ、自らも餓死寸前の危機に瀕して“もう死んで(終わって)しまうかも”との想いから、天変地異を前に何も出来ずに独り死に逝く淋しさが心の奥底(潜在意識)に刻まれていた。


 「心淋しい人」はたくさんいます。心の奥底にしまい込まれている“想い”を

紐解く時。。過去の世が今よりもずっと暗澹たる時代であったこと、その過酷な環境における苦い経験により“心は傷ついている”ということが解り、その“淋しさ”を癒すことができます。


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Lesson 23 キレイな言葉は心を現す

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 「大和言葉」。ざっくばらんに言えば“美しい日本語”というところでしょうか。

 まぁ。。大和言葉とまではいかなくも。。日常生活において「言葉」は、天より授かる

コミュニケーションツール。その用い方は当然のことながら。。“想い”はじめに在りき、

心が現れます。


 Q:あなたは仕事も丁寧、人から「親切だ」と伺っています。普段からそうなのでは?


 A:ありがとうございます(*^_^*) おかげさまで。。そう言ってくださる方がいます。

 それが親切かどうかはあまり自分では分からなくても“丁寧さ”は心掛けています。


 Q:心に残る言葉、特に“気をつけなくちゃ”と思う言葉はありますか?


 A:そうですね。。心に残る言葉はたくさんあるかもしれません(笑)

   中でも。。気をつけなくちゃと思うことは。。

   子供の頃よく母に「だらしがない」と言われて

   「家(内)でやっていることは外でもそうしている」からと

   所作について注意を受けていました。

   今ではそれが私にとっての座右の銘となっていますね。


 Q:素敵なお母さまですネ。愛するわが子への“お諭し”がご自身への“戒め”になって

   あなたの「真」の姿勢が培われてきたゆえの“丁寧さ”と、周囲からの称讃

   「親切だ」に繋がっているのですね。。素晴らしいお話をありがとうございます(^^


 A:こちらこそ。聴いてくださりありがとうございます。そうですね。。

   当時の私は母に反発していて、とても人の言うことを素直に聴ける心の状態ではなか

   ったこともその後の反省と改悟、“戒め”に繋がったのかもしれません。。(*^_^*)


天が人に与えしコミュニケーションツールの一つである「言葉」は、一見、便利なようでいて。。それこそ使い方しだい。そしてそれは“心”しだい。

言葉には言霊が宿されるように、その使い方、用い方には然るべき“心の在りよう”

が映し出されます。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+



Lesson 24 愛せない心

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“人を愛せない”人は案外多い。


「愛」は“好き嫌い”の嗜好に依存せず、例えるなら、親が子の将来を按じて

“幸せになってほしい”と願う気持ちのように、純粋に「人の幸福を祈る」想い。

心に想うその“気持ち”、本当に人の幸せを心から願っているだろうか。


 A:優しい人って嫌われにくい。「優しい人がいい」って言う人が多いけれど・・

冷たくされると不安だから?その逆、優しくて親切過ぎるのもちょっとね。。^_^;


Q:戸惑う?その「優しさ」や「親切」の度が過ぎると・・逃げたくなったり?


A:そうそう^_^; それって、やっぱり・・好きであっても、愛してない?


 Q:そうね、相手をと言うことではなく、先ずはあなた自身。過去世の経験から

人を愛せなくなる理由があって、それが今のあなたの心を騒めかせて

“戸惑い”や“逃げ”といった気持ちに現れてる。時に、好感は持てても

心から幸せを願う気持ちにはなれないでしょう。


愛は“人の幸せを願う気持ち”。もちろん「人」には自分も含まれる。老若男女、

身内や血縁問わず、嗜好的な偏りや隔たりも一切関与しない。純然たる“想い”。

 

この一例では、過去世に育ての親から幼児期に受けた性的虐待により、優しさや

親切を歪めてとらえる“しこり”が心に傷を残し、今生においても素直な心により

人(自・他)の幸福を願うことが出来ずに戸惑ってしまう。

 

 人を愛せない、その心は多くの“傷”を抱えている。愛せない心のままでは自分も

他者も誰も心から愛することができず心虚ろに、その切なさは“想い”や生き方にも

滲み出ていた。

。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+



Lesson 25 心の“称讃”

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「ほめられたことがない」という声は意外に多くいるよう。

それならそうと。。今日こそは思いっきり「私」を褒めて差し上げましょうネ(^^♪


『あなた(私)は素晴らし~~~~\(*^o^*)/ い人♪』


―――え?「ナゼ!?」って・・?それはね、


今日もこうして“生きている”でしょ。今、こうして“在る”ってことは・・

過去何世か前から、幽界と現界を行ったり来たりしながら生き続けてきた証拠。

「人」として、誰かの子であったり、親になったりとその役目役割を担い

周囲と共生共存してきたわけだよね。


生まれたこと、こうして存在すること、それだけでも奇跡的なこと。


今日は誕生日でも、お正月でも何でもない「フツー」の日、ありきたりの日常も

昨日と全く同じということはなくて「昨日の私」と「今日の私」は違う。


 ―――「変わらない」?「相変わらず」って?


ちっともそんなことないから。もしも。。そんな風に思うのなら、なおさら


『あなた(私)は素晴らしいよ』って思ってみて! だまされたと思って(^_-)-☆


 “心”ってね、頭に想ったことを心に響かせられる。だからね、

恥ずかしがらずに “素晴らしいよ♪”って心に声を掛けてあげて。すると勇気が湧いて

元気なエネルギーが曇りがちな心を晴らしてゆくよ。


 そうして、心から「私」を褒めてあげられたなら。。一分一秒前の「私」と違って

その心は成長してる。“称讃”は心を磨くから。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

Lesson 26 心の「公理」

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心は、公理に触れると悦びます。つまりは。。

公理に沿った“想い”が心の成長を促し、心をキレイにしてゆくのです(^_-)-☆



塾生:よく「だいじょうぶ(^^)」ってセンセは言われますね。たしかに

そのように前向きに考えられたら楽。けれど、人によってはその時の状況に

よっては・・気休めだったりしませんか。


 センセ:そもそも“だいじょうぶ”は天よりの励ましの“想い”。実際に、

苦しい状況に置かれている時ほど“だいじょうぶ”と励ましてくださって

いますよ(^^)


 塾生:なぜ「だいじょうぶ」と言えるのですか?


 センセ:苦しみや悲しみを経験すると心は鍛えられて大きく成長します。

今まさに“苦しい”状況にあるとすれば、その苦しみを乗り越えて成長する

ようその“状況”は用意されたものだから「だいじょうぶ(^^)」なのです。


日常的に経験する“状況”は、天の公理の一つである「因果律」による応報。言わば。。

人が成長するための“お膳立て”のようなもの。公理に則って成長するその「仕組み」を心は知っています。


「だいじょうぶ」は心の「公理」を具現化したものなのです。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

Lesson 27 心の「公約」

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ルールや約束事は、より多くの人と共有することで互いに守り、守られるよう働きかけがなされます。心は公理に触れると悦び、その公理に則った「公約(約束事)」により、その約束事に伴う想いや行動、役割が成せるように働きかけられる。つまりは。。

公理&公約に沿った成長が促されて心はますますキレイに磨かれてゆくのです(^^)v



塾生:センセの言われる「うまくゆく」って、塾HPにある「すべてよし」の法則ですね。私、意思がイマイチ弱いのかな、「うまくゆく」ってなかなか思えなくて。


センセ:だいじょうぶ。ちゃあんとその“想い”は天に届いています。気休めや冗談な

どではなく・・ネ(^_-)-☆

「うまくゆく(すべてよし)」は天の公理(HP参照)ですから、現状がどのような様相であれ、そこからより善い将来性ある幸せな社会へと人の心が進化成長してゆくための仕組みが働いています。


 塾生:シンクロニシティかぁ。。ただ“うまくゆく”と思えばよいのですネ♪


 センセ:そう、うまくゆく♪ これは心のお約束事(公約)。そして公理でもある。

だから・・「すべてよし」の法則なのです(^^♪

    

“想いはじめにありき”で、先ずは“想い”。心に思うことが言葉や行動などの現象となって起こるのが世の仕組み。これも天の公理につき。。公理に則り“うまくゆく”ように

心の成長を願って「こうします」と公(天)に約束する「公約」。


 心は「公約」を掲げられると一段と大きく成長してゆくよう仕組まれています。


“だいじょうぶ”。そう天に後押しされて、万事“うまくゆく”よう。。

数々の公理&公約により、豊かな心へと育まれてゆくのです。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

Lesson 28 心を痛める「我慢」

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自己意識である“我”は、欲望や情に絆されやすいもの。それだけ、欲望や情は魅力的に感じられるのでしょう^_^; たとえば。。猫の額よりは広々とした自遊な空間を所望したり、恋の相手は器量も大事とか、所帯を構えるなら年収はこのくらいないと。とか何とか。

人情味ある下町の江戸っ子「寅さん」に何となし共感する気持ちも“情”ゆえですネ♪



塾生:我慢している人って、案外多いように思うのですが・・私は幼い頃に母親から

から「辛抱しなさい(今が踏ん張り時よ)」と言われた覚えがあります。


センセ:そう。。確かに、物事はいつも順風満帆とは限りません。人間の自由意思と欲望による悪行や悪心(悪想念)が悪いカルマやトラウマを拵え、自らのカルマやトラウマに苦しむ時代を過去世より千数百年に渡って生きてゆくためには、それなりの辛抱心は欠かせなかったことが理解できます。


塾生:ひょっとして・・辛抱することを「我慢」と取り違えていたりしませんか?


センセ:そうと言ってもよいかもしれませんね。

子供の頃、親や周囲から「我慢しなさい」と言われて育った方も多いです。この場合の「我慢」は“辛抱”と取り違えていることもある。親がわが子の将来を按じて「“我がまま”を言っていては道理が通らない」ことを教え諭す含みを感じます。


我慢の人生を送ってきた人は何も親世代に限ったことではなく、本人が自発的に「我慢してきた」という人は少なくない。過去の苦しい時代には「我慢は美徳」などと謳われたほど、苦しい出来事に人はただ耐え忍ぶことでやり過ごしてきたことが窺える。


「我慢」とは本来、自己意識(我)への執着から自分を高く見、他を下に見る「慢心」のこと。“我”に慢心するほど「心」は深刻な問題を抱え、深く傷ついている。


我慢は心の自虐行為。心に深刻なダメージを与えるものなり。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

Lesson 29 「辛抱」による心育て

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人という魂をお造りになり、心という意識を与えられた天は、神々と人類の棲む現宇宙を完成なさるまでに長い長い悠久の時をかけ“真(まこと);成すべきことを真っ直ぐに成す”ご本質により臨まれました。


生命の創造以来、命が命を生み育むという精緻で奇跡的なお仕組み;天の営みによって成り立つ私たち人には想像を絶する“御自ら成り出で”られた天。それは・・


御自らを厳しく律する真(まこと)を経て“育み”という大愛を成し、自らの魂を注いで天上界(天国)を確立され、地上;宇宙の人類(魂)を養い育み、心が幸福感に満つるように数多の恩寵を与えて導くべく営々たる推し計らいが成されています。


 塾生:天は言わば・・類い稀な「辛抱心」によって人魂の進化を期待され、私たち

人が幸せを得るための心の成長を気長に待ち望んでおられるのですね。


 センセ:そうですね、親が子の成長に手を焼いて見守り続けるのは幸せになってほ

しいから。天も同じ。創造主として人類が心身共々幸福感満つる様子を愛でている。


塾生:すべてを創造された以上、御自ら“幸福”というものを究めて、天の末裔と

言えるすべての人魂らが幸福を体現するよう仕組むという責務を成しておられる。


センセ:仰る通りです。真(まこと)という本質を自らで示し現されるそのお働きは

やはり「真」ならでは。過去から現在、未来へと長い長い道のりを経てこられたのは「辛抱心」によるものです。


魂の本懐である“幸福な心の状態”とはこういうものと、幸せ満つる将来を目論み、見越されているからこそ辛抱して未来へ臨むことができる。幸せを悟った人魂である聖者たちは皆、忍耐や我慢ではなく、辛抱することで向上し続けた結果、聖者となった。

 

魂と魂が、緊密に繋がって交流している時、天のみ意(こころ);お考えが、そのまま人の世の真理として、また、聖人聖者たちの心得る宇宙の叡智に説かれた「天の公理」であること、そしてその公理は、必要都度、知ら示されていることを体現でき、まさに、心は幸福そのもの~♪の状態となる。


 辛抱に幸せな未来あり。


幸せでありたいからこそ、たとえどんな困難をも乗り越えて未来へ向かって真っ直ぐに辛抱して臨むうち―――幸せな心は育まれてゆくのです。。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

Lesson 30 信じる心は救われる

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信じる者は救われる。なんてことを言ったら・・

「え~信じてたけど、全然救われなかったじゃん」なんて思いますか?

 

人はみな何かを信じている。だから今日や明日がどうあっても生きている。何も

神さまへ信心する敬虔な信者に限って“救われる”というわけに参らぬのが世の常。



塾生:「神さまを信じていれば救ってくださる」というのはどうかと。少々

“傲慢”?な感じもしますが・・旧三千年紀時代の名残りなのでしょうか^_^;


センセ:確かに。世の法則である『因果律』によって「信じていたが救われない」と

いった結果がもたらされたとしても不条理はありません。仏界が存在していた

   旧三千年紀時代には、たとえ悪いことをしても「神仏に祈れば赦される」と思

われていたことから現代に至ってもその名残りは当然あるでしょう。


 塾生:トラウマ(心の傷)などの影響も?


センセ:仰る通り、トラウマによる心の問題は「信じる」気持ちを希薄にします。

「信じられない」物事の発端は過去世、肉体を授かった“ある世”にて辛い目

に遭い、心を痛めたために信じられなくなった。「神様なんて信じない」と。


 何を信じる(あるいは何は信じない)かはともかく。。世の物事、人や神さま等々も

含め何がしかに“信”を置けない心は不安でのびのびと生きてゆくことが困難な状態。

 

 もし、あなたが「信じられない」と強く心に思っているものがあるなら。。それは、

過去(世)に「信じ難い」めに遭遇し、とてもじゃないが受け容れられなかったこと

で、心に“しこり”や“わだかまり”などを残している。


心にそれらの“傷”があるということは、心穏やかでない状態、常に不安ととなり

合っている。心の傷が癒ると「信じられない」物事も信じられるようになり、不安な

どではなくなって。。結果的に心は救われている。。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;






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