心のレシピ

人の心は本来もっと自由で心地がよいもの♪


心のレシピは あなたが本来の心を取り戻すためのお手伝いをします。

Lesson 41 なくして解る「心」

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心は、成長してゆくもの―――普段はあまり意識されていない意識のひとつ「心」。ですが、心は常に成長しようとしています。心がキレイということは、それだけ心が成長している証拠。人の心は成長するにつれ、幸福感(幸せ度)は増すようになっています。


 塾生:親を亡くしてはじめて、もっと親孝行しておけばよかった。などと気づくことがありますね。もっと早く気づけたなら・・とか、反省や後悔したり。。^_^;

 

センセ:そうですね。大切なものを失ってこそ、そう“気づくことができた”のですネ。亡くなることによってその重みを知った。ということは・・“悲しい”や“寂しい”後悔など、対象への固有の“想い”に気づく必要があったということ。


塾生:だから。。それを気づかせるような出来事が起こる?わけですね。


センセ:そうです。そうして「心」は成長するように仕組まれています。世の道理ですなのですネ^_^


 心はこれまでも、失敗から多くを学び取って成長を図り、進化した今があり、なおも成長が促され、進められています。


 人の心が自ら、幸せを感じられるようになるためには、様々な物事や人を通じて学ぶ必要があります。そのため、時に失敗し、時に大切なものを失くしてでも、心の想いを知る機会は必要都度訪れて、経験値を深めてゆきます。


心がキレイになるため、あなたの幸せ度UPのために。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

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 思い込んでいる心

Lesson 42 思い込んでいる心

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 心は過去世の習慣的な想いを引き継いでいます。その想いが凝り固まっているほど心の傷=トラウマは深く、心を痛めて苦悩の要因を生み出します。


 心がある固有の“想い”にとらわれていると、思い込みによる勘違いしやすい状態に。トラウマが深いと、自らの思い込みや勘違いにも気づけなくなってしまう。


 塾生:たとえば「恐らくは、○○であろう」との目論見が、固定観念や“思い込み”によるものと気づくのは難しいのでは・・?

   

センセ:そうですね、「恐らく」なら、思い込みの程度は浅い方かもしれませんね。

深く“○○である”と思い込んでしまっていることに気づくために、先ずは “○○である” と思っている私(自己意識)を意識する必要があります。


 塾生:「私はこう(“○○だろう”と)思う」ことを、改めて意識する?


センセ:そうですね。単純なことかもしれませんが、私たちは日頃、当たり前の日常の些細な想いを改めて意識することなく過ごしています。だからこそ、意識

を向けてみること。「私(=自己意識)の成長は“意識すること”です(^^♪


  ほんの些細な日常事の中にこそ、心の成長のカギは隠されています。


「○○だろう」と思う私の心は、過去のちょっとした経験が“思い込み”となって現在の「私(の想念)」の傾向を形作り、自我は形成されてゆきます。


  心の傷(=トラウマ)の深さを知れば自ずと、思い込みの深さも分かり “思い込み” だということに気づけたなら、既に、思い込みではなくなります。


  心に浮かぶ想いを意識する、意識して観察することは、心を成長させます。


思い込んでいる心を知ることは、「私」の心をキレイに磨くことになるのです。

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 心の嘘

Lesson 43 心の嘘

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人は心に嘘をつく。何故だろう?それは―――理性ゆえ?

「心にもないこと」を言ったり、誤魔化したりして。


塾生:会話の中で不意に、言おうとしていたこととは違うことを話したりすることがあります。“これを言ってはまずい”と思っていることとか。


センセ:そうですね、「言ってはいけない」と強く意識するほど、思わず言ってしまうことはあるかもしれません。我慢で心の想いを押し込めていたのでしょう。

 

塾生:心に嘘をついて?


センセ:そうですね、心はすでに傷つき、疲弊しています。それは我慢によるもの。その傷を悟られまいとして嘘をつくこともあります。


心は過去の経験から得た固有の“想い”にとらわれていることで傷つき、疲弊している。


固有の想いが「心にもないこと」を言わせたり、心に出来てしまった傷を庇うように誤魔化したりしているのです。。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

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 本心

Lesson 44 本心

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本気、本腰、本物・・本心、「本」のつくものはいい。確かに、潔い善い感じを受けるのかもしれませんね。実体はどうなっているの??


塾生:本心って・・よくいいますよね。本当の心って意味?でもって・・
俗世に染まっていない無垢なままの心が本来なのでしょうか。


センセ:そうですね、本心は、理性や道徳に則した心という理解が一般的ではないかと感じます。「本当の心」というよりも“本来こうあるべき”心と言えます。


塾生:“こうあるべき”ってことは・・本心とは、天が、人の“心”として相応しい在り方を示唆している。ということですね。


センセ:そうですね、心の実態は無垢ではなく、俗世の中にこそ育まれてきています。本来あるべき方向へと育むためにはある程度の指針となるものも必要でしょう。

私たちが真摯に「本心」を考える時こそ、その心は天に通じているといえるかもしれませんね(^^♪


心は、過去世から輪廻転生という仕組みの中で、様々な経験から罪穢れや傷を拵えながら学んでいる。


その罪穢れは垢となり、とらわれは傷となって心を荒ませ、澱ませてゆくも、更に学び進めて悟ることにより、心の垢を落として傷を癒し、キレイに磨いてゆくことができる。


やがて―――私たち人の心は、天の望まれる“幸せに在るべき”本来の心へと進化を成してゆくのです。。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

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 頑張る心

Lesson 45 頑張る心

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「頑張って!」の言葉に奮起する一方で、“がんばらなくてもいい”の言葉に慰められもする。その心はイロイロ。一体全体・・どうありたいというのか。


 塾生:「ガンバッテ」ってありふれた励ましの言葉。そもそも・・頑張っていない人っているのかしら?その人なりに頑張って?励んでいるのではないかと・・。


センセ:そうですね。ガンバッテは励ましの言葉、頑張っているから「頑張って!」と声を掛け合うことで心は“相憐れむ”想いを感じています。通常、人は生きることに懸命な分、過去世より頑張って生きてきたと云えるかもしれません。


 塾生:そう・・か。「頑張って」も過去世での、どちらかと言えば苦労経験が活きていてそれで“憐れみ”になる。例えば、“励まし”に聴こえないとしたら、それはやはりトラウマによるものかしら?


センセ:そうですね。過去によほど・・“頑張れ、頑張れ”と歯を食い縛るように頑なな生き方を強いてきたための心の傷ですね。


心の成長は無限大といってもいい。だが、先ずは現時点での心の成長段階(身の丈)を受容できず、認められないままで“まだまだ、もっと出来る、頑張れ”と煽り立て続けると、心はわだかまりやとらわれといった傷をこしらえ、「頑張って!」がかえって重く圧し掛かってくることになる。


 頑張るその心は、もしかすると・・過去世の“頑張らねば”生きてゆくことが難しかった幼き心の時代の苦労をトラウマとして刻み込んだまま、今まさに浮彫にして心の容態を知らせてきているのかもしれません。。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;


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 心は幸せを掴むために

Lesson 46 心は幸せを掴むために

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「頑張って!」の言葉に奮起する一方で、“がんばらなくてもいい”の言葉に慰められもする。その心はイロイロ。一体全体・・どうありたいというのか。


 塾生:「頑張らなくていい」って言葉は心が少しホッとする感じがしますね。肩の力が抜けるような。実際に、頑張らなくてもよい社会や世の中になればよいのですが。


センセ:そうですね。今世よりも過去の世、心の成長途上で未だ幼い段階の私たちはそれこそ“頑張らねば”と生き抜く必要もあったでしょう。その頃の記憶は、潜在意識の集大成でもある心に滲み出てきますから、「頑張らなくてもよい社会に・・」はその証しですネ(^^)


 塾生:あ・・トラウマですかぁ。。。(^^;ゞ

“頑張らねば”という想いへの“とらわれ”が解消すると頑張る必要もなくなって、肩肘張らずに楽に生きられるってことですね。


センセ:仰る通りです。頑張り癖という“想い癖”になっている場合もあります。いづれにしても心の傷(トラウマ)ですから、解消してゆきましょう。


 たとえ、頭(最表層表面:顕在意識)で「幸せ」を意識していない場合にも、心という潜在意識(の集大成)は常に“幸せ”を意識している。

 

 たとえ、がんばらずとも“幸せになる”ことは決してあきらめることのない心。それは「心は幸せを掴むために在る」ものだから。。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

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 心の声を聴いて

Lesson 47 心の声を聴いて

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心は、頭(顕在意識)に浮かぶ想いの元になっています。が、頭(顕在意識)で考え出した答えと心の奥底の想いが異なることもしばしば。「私」って・・多重人格?!


 塾生:相手が正しい事を言っているのは解るのですが、言い草や場によっては「ここでそんな風に言わなくても・・!」と不服に感じてしまいます。自分の

プライドからそのような想いになることは分かっているのですが・・。


センセ:そうですね。一側面では「正しい事を言っている」との理解がありつつも自らのプライドにより、相手を受容できない想いに囚われれば苦しい状況に。


 塾生:悪い人ではないことは理解しているつもりでも、現状(やり方)への反抗的な想いが同時に湧いてしまっていますね。トラウマ(想い癖)もありそうな。


センセ:そうですね。頭(顕在意識)では現界の物事を理性的に捉え“相手(人)を悪く思いたくない”との想いの一方で、心には過去世のトラウマ(プライドによる傷)由来の“これ以上、傷つきたくない”との想いが湧くために反発しています。


頭(顕在意識の最表面)で捉える理性や道徳に基づく想念と、心(潜在意識)に浮かぶ想念が合致しないのは、過去世の経験から心に何らかの傷を抱えている場合がほとんど。


心に傷:トラウマ(上記の例では想い癖)がない人はいない現状では、「私」の中に潜在する想いが多々あって頭(顕在意識)の考えと心の想いが異なっていても不思議はない。


「私」の想念は、心を含めた潜在意識から滲み出てきているため、要となる心の問題を疎かにしては文字通り“頭でっかち”に。それでは本末転倒。そうならないためにも・・

心の声に耳を澄ましてゆきましょう。。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

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 “ふくよかさ”は愛でる心

Lesson 48 “ふくよかさ”は愛でる

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心豊かにあること。それは、誰もが望ましく思うところではないでしょうか。

意外?いいえ、案外!ごく身近なところにも・・豊かな心を見~っけ(^^♪


塾生:「ふくよか」というと女性的?とか、親が子を優しく見守るような感じかしら?


センセ:そうですね。“ふくよかさ”は「愛」に同じ、親が子を愛でる場合もそうですが人に限らず、自然やその情景に親しむこと、対象の存在を尊重し称讃し、その成り行きを見守ってゆくことも“ふくよかさ;愛”に通じます。


塾生:女性に限らず(照れ笑)、よりスケールの大きい、広くて柔軟な価値観“想い”から醸し出されているのですね。人の心は、そのように“ふくよか”なものになれるのだと思うと嬉しくなります。


「愛でる」は、親しみであったり、大切に思ったり、素晴らしいと思えること。それらの“想い”は心の豊かさを現しています。そして―――愛でる想いは心の固有のもの。


心が成長するほど「愛でる」対象は拡がってゆき・・

“ふくよかさ;愛”は育まれてゆくのです。。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

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 悪想念は心の澱み

Lesson 49 悪想念は心の澱み

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赤心;純粋無垢な心は、実に素直でふくよか。そうありたいものですが、なかなか・・ネ(^^;ゞ

なぜなら。。私たち人の心は大小様々な問題を抱えているものゆえに。


塾生:言いつけを守らなかった子供を強く叱った時、「当然」という気持ちとは裏腹にモヤモヤした気持ちが残り、何とも後味悪くて・・・。


センセ:そうですね。「叱る」にもエネルギーが要ります。言う事を聞かないことに対して苛立ったり、腹を立てればなおさら、必要以上のエネルギーを投じることに。


塾生:確かに、イラっとしていました。聞き分けが無いことにイラついて・・。いや、子供に対してというよりもむしろ、どう言い聞かせたらよいものかと・・上手く伝えられない自分に対してかもしれません。


センセ:そうですね。「怒り」や「憤り」といった悪想念は心を汚します。モヤモヤした気持ちは心に澱み、わだかまり;トラウマに由来しますから早めに解消しましょ♪


悪想念は負;マイナスの感情として現れ、心を荒ませています。時に、心がもやもやして気持ち悪くさせることも。そのモヤモヤ、放っておくと“澱み”となり、心の傷となります。その心の澱み、要因は自らの悪想念なのです。。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

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 “不自由さ”は心の注意信号

Lesson 50 “不自由さ”心の注意信号

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「自分のやりたいようにやりたい。」なのに・・それが出来ない理由は何ですか?


時折、私たち人は自らの行動を制約する要因を環境や周囲、自分以外の誰かのせいにしている。そんな「私」を不自由にしているのはいったいぜんたい・・誰?!


塾生:社会のルールや規則は、方向性を示す意味では必要かもしれないと感じる一方与えられている“自由(意思)”が制約されるような窮屈さを感じます。


センセ:そうですね。ルールや規則は本来、自由を奪うものではないです。にも関わらず、窮屈や不自由に感じる要因は、たとえば“制約”や“束縛”といった言葉(想い)に心が過敏に反応しているためです。


塾生:過去世に経験した窮屈さから、つい“自分は不自由である”ように思ってしまうのですね。それに対する反抗や反発心がそのことを教えてくれている。


センセ:そうですね。“不自由さ”は心自らにその不自由な要因があるからこそ、反発や反抗といった感情が発せられています。


 心は本来、自由である。なのに、私たち人は「自由ではない」と様々に、不自由な外的要因に自らを縛る。そうすることで心は過去世の傷痕を残したまま、置いてきぼりになる。

 

もしも、“不自由さ”を感じたならそれは―――「私」の心の問題をしっかり“意識しましょう!”と注意信号を発して、促しているのです。。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;






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