(1)気づいているということ
バガヴァンによりますと、さまざまな自分の内部の想いに気づいていることができることは、幸福であるために、非常に大切な技術です。
バガヴァンによる、「気づいていること」と「意識していること」の定義は次のようなものです。
まず、意識しているということを、嫉妬を例にとって見てみましょう。
自分が誰かを嫉妬していることを意識しているとは、自分が嫉妬の気持ちをもったことを、大分あとになってから、認識することです。「さっきの想いは、自分が彼に嫉妬しているということなのだな」という具合です。
それに対して、気づいているということは、
「まず自分と彼を比較した。するとある点で彼の方が優れていると判断した。それにともなって、彼に対する嫉妬を感じた。その感情は次第に憎しみに変わった。」
という感じで、その気持ちが起こったときに、別の自分がしっかり観察しているという具合です。
(2)気づいていることの利点
バガヴァンが、気づいていることをそのように詳しく説明しているのには理由があります。気づいていることは、悟るため、言い換えると、幸福になるために、唯一の技術といってもいいほどなのだそうです。
たとえば、自分がある人に嫉妬していることに、上記のような意味で気づいているとすると、そのような気持ちが、好いことをもたらさないことに気づきますから、自然に嫉妬をしなくなるというのです。
そのように、気づきを続けて体験していると、「悟る」というところまで行き着くというのです。 このことは、悟りを求めて悪戦苦闘してきた歴史から見ると、「コロンブスの卵」のようなことかも知れません。ものすごく重要なことが、教えられてみると、何でもないことだったというわけです。
明心塾においても、幸福になる条件の一つとして、自分の気持ちを冷静に観察することをあげています
© 2009 明心塾