改めて悟る

“わが人生に 反省あれども後悔はなし ただ改悟あるのみ”


「改悟」は“過ちを改める”という意味があり、一般的に“悔悟”と同じような意味合いで用いられますが、過ちを悔いる;悔悟とは異なります。


“過ち”とはすなわち、不幸のもとになる想念、その想念に従った言動及び行動のことです。


己の過ちを悟ろうと会得するのではなく、過去を省み、改めることで自ずと悟ってゆくのが改悟です。


したがって、「改めて悟る」ためには、自省(反省)は欠かせません。


人は多くの場面で、己を正当化することに依って生きているようにも見受けますが、これは、“自我”の働きによるものです。


たとえば、「私は間違っていない」と自らの想いを“絶対”と思い込む。これは自我への依存です。自我に依存すればするほど、自らの心を頑なにし、魂を曇らせ、本来ならば気づけるようなことであっても気づくことができなくなりますから、霊的成長を阻み、滞らせる要因になります。


自我は、その働きに“気づいていること”によって弱めることが出来ますから、気づけるようになるための自省(反省)は必要不可欠なのです。


自己の想念を省み、「自分は間違っていない」との、“正当化している自分”を見つける。


そのような“思い込み”があることに気づき、その想い(思い込み)が“自己都合に偏ったものだった”とか、“慢心(傲慢・高慢)に因るものであった”と気づいたならば、自我の働きは弱まるとともに心は解れ、己を正当化しようとする自我から開放されてゆきますから、自らを絶対視した思い込みによる心の曇りは晴れます。


総じて、自分本位な想念を反省し、その想いを改める気持ちになれたなら“しめたもの”でしょう。それが「改悟」です。


改悟は、自己の意識が抱える想念に、深く切り込んでゆくことによって成されます。

それは、真の幸せを会得してゆくための“段階”でもあります。


わが身を省み、改悟に繋げ、意識の更なる成長を計ってこそ、真の幸せに近づいてゆきます。


自分自身を振り返ることは、これまで気づけなかったことに気づかせて戴くことであり、そのよき機会を戴く“きっかけ作り”ですから、そこには様々な“気づき”や“発見”があります。思わぬ“目から鱗”の発見だったり、“腑に落ちる”気づきに繋がったりと、改めて悟るためのきっかけや霊的成長に結びつく要素が満載です。


私たちは「頭では何となく理解した(つもり)」が正確には、悟りに達するほどには「分かっていない」ことも往々にしてあります。


基本要素となる各意識の“意識間の合一”が成されてはじめて“悟る”ことができるゆえです。整然と理解した高次元の意識の想いに、他の意識の想いが到達してゆかなければ「分かっていない」ことになります。


幸せになるための存在として「人」が創造され、やがて、人は本来の幸せを悟るに至ってゆきます。


あなたがあなたらしく、人本来の幸せな人生を送るためには、その内に存在する意識と向き合い、「幸せな人生とは何か」を追求し、悟ってゆくしかありません。


自省と改悟を繰り返し、神聖化に邁進するほどに、真の幸せ;幸せな人生を悟られるでしょう。


自己を知ることによって、己の過ちに気づく。その過ち;“不幸のもととなる想念”に気づくことによって改めて悟る、自己の更なる霊的成長が「改悟」なのです。







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