自省とは 

たとえば・・今日一日の終わりに、自分の身の上に起きた出来事を振り返り、その時々の自らの言動や行動に思いを馳せ、

“ああ。。あれはこうだった”などと、思い巡らせることは、誰しも多少の経験があることではないでしょうか。


自己を省みる「自省」は、過去の自分の言動や行動、在り方を振り返り、自発的に、自らすすんで反省することです。


反省とは、その言動や行動、在り方がはたして、「善い;“幸せ”に繋がるもの」であるのか、「悪い;“不幸”のもとになるもの」であるのかを、自己の内面である意識に注意を向け、観察し、客観的に評価することです。

そして、その経験を生かし、幸せに繋げようという目的があります。


人は誰しも、本来の幸せを得るため、“幸せになるため”に存在し、生きています。過去を省みることによって、次に活かそうと努める。これは、極論を申せば、幸せの本質を掴もうという試みです。


人の求める幸せの本質は、その源たる天より発せられています。

天のみ意に近い想いほど、“本来の幸せ”を悟ってゆきます。


自己を省みることは、自らの高次元の意識が悟った“本来の幸せ”を、顕在意識で捉えようとする試みでもあります。


自省することの利点は、数多く挙げることができます。


時には、自己の意識の中に、幸せとは縁遠い“想い”の発見もあるでしょう。


幸せの足枷となっている悪いカルマ、トラウマやそのもととなる悪想念に気づくこともできます。


ひいては、その“気づき”をより深めて、悟りに達するきっかけともなりえます。


幸・不幸のもととなる想いに気づいていない意識に気づきを与え、より高次元の意識の悟った想いに到達させてゆくことができるのです。


自省する際、反省とともに湧く、反省とは異なる想いにも留意します。


あらためてわが身を振り返った時、自らの言動や行動について

「これは、あまりうまくなかったなぁ。。。」と客観的に評価するのは“反省”ですが、

自らの言動や行動を主観的に評価し、

「こうしていればよかった」とか

「ああしていれば、こうはならなかった」との想いにとらわれると“後悔”です。


「自省(反省)」の本来の目的は、後悔することではありません。


“後悔先に立たず”の諺にもある通り、後悔の念;想いは“とらわれ”などのトラウマが原因ですので、解消する必要があります。



「反省すると後悔している」といった場合、その「悔しい」想いと向き合い、じっくり味わって、“悔やむ”想いから心を解放しましょう。


“反省”は、あくまで客観的に自分自身を見つめ、善し悪しを見極めることです。

たとえ、想い、言動や行動が悪くとも、審判する、「悪い」と裁く、卑下することではありません。


善くとも悪くともその“想い”を含め、気づけなかったことに改めて気づくことにもなり、気づきを得るための素晴らしい自分育ての機会となるでしょう。


その“気づき”をきっかけにますます、意識は、幸せに繋がる想いを悟ってゆきます。


このように、反省することは、自己の魂や心を育む霊的成長には欠かせないものですが、より自発的、より積極的に反省しようと試みる姿勢が大切です。


幸せを悟るための積極的な務めである“禊”に同じく、すすんで反省してゆく「自省」は、自己の想念の在りようや心の在り処を知り、気づくことによって、改めて悟る;霊的成長を自らで促してゆくことなのです。







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