エゴを知る(セッション2)

エゴは日常の中で、本人の思わぬところに幅を利かせています。


人は日々、霊的成長を計るべく、善かれと思い、行動し、様々に学んでいます。その霊的成長の途上であるがゆえに、他人に対して、自我を強くアピールしようとするエゴの働きに気づかないこともあります。


人の心(意識)の成長段階は、概ね、精神年齢である顕在意識の成長段階により、受容できる範囲が違ってきます。これは、エゴに面した際の対処の仕方にも当てはまります。


エゴに気づかず、その働きに任せて対立する時、気づかぬままに人は“エゴにはエゴで”対抗しようとしますが、自分のエゴに気づいたなら、“エゴである”ことを受け入れたわけですから、エゴを受容したことになります。


常に、自分のエゴに気づき、受容できれば、エゴに気づけない相手のエゴに対しても、たとえば、「自分もそうだった」ことに気づき、改めて、自戒できますし、また、「(相手も自分も含め)人は成長途上であるわけだから・・」と寛容な心も生まれます。


聖者である仏陀やイエスなどの“悟った人”、人の霊的成長の高みに達した人であれば、それ相応に意識の受容範囲は広いと思われ、エゴに対する受け止め方や受け取り方も寛容さを極めていたことでしょう。


エゴの働きLesson2:「相手を支配しようとする」


たとえば、「あなたはこうしていればよい」とか「こうしなさい」などといった、相手の想いがどうであるかに係らず、相手の行動を制約したり、指図したりする時、特に親しい間柄となれば、エゴが働きやすいものです。


与えられた役目ゆえに、上下関係が重んじられる傾向にある会社の上司と部下の関係や、親と子の間柄において、日常的に聴かれる言葉かもしれません。

会社であれ、家庭であれ「社会」にて与えられた役目に精進することはもちろんですが、エゴの働きに注意する必要があります。


たとえば、「○○(親や先生、私等々)の言う事を聞きなさい」は、その言葉を聴く相手に対し、ともすれば「○○の言うとおりにしなさい」との想いの含みがある場合、相手が支配されることを嫌う傾向、そのようなトラウマがあればなおさら、支配されまいとしてその言葉を受け容れられません。

逆に、反抗的な態度をしめすかもしれません。


「参考までに・・」くらいの気持ちの方が、相手の考える自由を奪わず、相手を尊重したほどよい言葉ではないでしょうか。


自らの過去の失敗や失態を後に続く者に「こうしたら失敗した」と話し、「だからしない方がいい」と助言をしたくなるのは人情ですが、役目に徹するあまり、相手の自由意思を尊重できず「こうしないからいけない」と相手を責め、批判したり、「だから言わんこっちゃない!」と憤慨していては少々行き過ぎです。


最も身近な「家庭」という最少単位の社会では、家族はそれぞれ、父(母)の役割を担っている親に限らず、子は子ならではの役割があります。夫婦間においては、夫は夫、妻は妻としての役目を負っており、家族であることはある意味、「家庭」という社会における運命共同体のようなものです。


さすれば、家族という運命を共にし、家庭(社会)を営んでゆくためには、思いやりと相互理解、尊重(敬意)と励まし(称讃)が欠かせないはずですが、現実問題としてなかなかそうやすやすと円滑に運ぶことばかりでもありません。


カルマやトラウマを含めた過去世からの因縁も絡み合い、人は皆、成長途上であるがために、役目・役割に傲ったエゴが横行し、家庭内を不穏な状態にしているのです。


会社という一社会においてもやはり、役目ゆえの上下関係に胡坐をかいて相手に物申せば、表立った反発はなくとも心の内では反発を招き、ますます上下関係に不快な溝を築いて社内環境は悪化してゆくでしょう。


一国一城の主を目指す人もそうでない人も、一家の大黒柱である人もそうでない人も、その役目に傲る時、知らず知らずに相手を「支配しよう」としているかもしれません。自我と上手く付き合ってゆきましょう。







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