(1)エゴによるゲームとは
バガヴァンによれば、エゴはセルフ(自我)の表れであり、六つのゲームとして自分を表現します。
六つのゲームとは、
・ 相手を支配しようとする
・ 相手からの支配を拒もうとする
・ 自分が正しいと示そうとする
・ 相手が間違っていることを示そうとする
・ 自分を正当化するために誤魔化そうとする
・ 相手に罪の意識を感じさせようとする
自分の心を分析されたようで、想わず“にやり”とする方もいるかも知れません。
これらのゲームの結果、エゴは傷つき、人を赦せなくなり、自己中心的になります。
他人の見解を考察できず、学ぶ機会を失います。
自分にとって、もっとも親密な関係とは、母子の関係、および夫婦の関係でしょう。親子の関係は、子供がある程度成長するまでは、対等な関係にはなりませんが、夫婦は対等で親密な関係です。
しかし、その夫婦の関係こそ、エゴのゲームが幅を利かす関係です。結婚している人、結婚経験がある人にはよく分かる話ではないかと思います。
人は、顔を合わせる機会が多いほど好意をもつ傾向があるそうですから、夫婦としての期間が長ければ長いほど、好意を増すはずですが、夫婦の場合にそうでもないのは、エゴのゲームで傷つき疲れてしまうからです。
(2)エゴによる悪を避けるには
エゴから自由になるのは、瞬間、瞬間にエゴの働きに気づいていることです。エゴが多くの害をもたらし、何の利益をももたらさないことに気づけば、自動的にエゴは弱まります。
というわけで、ここでも、自分の想いに気づいていることの重要性が出てきます。しかも、自分のエゴと戦わないことが重要です。戦えば、エネルギーが損なわれ、疲弊してしまいます。
どうすれば、気づいていることができるのか? それは、基本的には、超顕在意識が働いていることが条件です。その上で、気づきの瞑想(ヴィパサナ瞑想)など、常に気づいている努力をすることです。想念浄化の業を受ければ、自然にその能力が育ってきます。
なお、気づいているということは、後で気づくのではなく、その瞬間に気づいていることです。何かを想っている自分を、もう一人の自分が観察しているという感じです。
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