魔法の三言の奇跡

子供の頃に虫歯多発で長いこと歯医者に通った。事の発端は、過去世に遡る。4世前に近所の裕福なお百姓さんを妬み、その方の悪口をさんざんに吹聴して回るなど、過去世における“口の災い”が大元だった。子供心に、治療に専念する歯医者の小父さんを嫌いではなかったと思うが、歯医者の風体に馴染めず、骨身に染みる金属音や薬剤のニオイに緊張し、治療から解放されると清々した記憶がある。


あれから数十年が経ち・・いつの頃からか、歯磨きのたびに感じる、独特のニオイが気になっていた。近頃は、吸い込んだ空気さえも沁みるようになった。


“虫歯”かぁ。。少々、想いははやる。


それほど抵抗感があったわけでもないが腹を決め、出向いた近所の歯医者は、

「ぶっちゃけ○○だからぁ」などとフランクに話す、近所では“良心的”と定評のある歯医者だった。

最初に応対した助士に様子を聞かれ「この辺りが沁みる」と伝えると、先ずはレントゲン撮影。その後、診察椅子に身を沈めて、目の前にぶら下がるモニターに映し出された自分の歯をぼんやり眺めながら医者を待つ。


レントゲン画像と診察による医者の初見は、

「磨き過ぎとかでぇ若干、歯茎が痩せているところが沁みるのかもしれない」だった。早速、磨き方を改めなくてはと反省しつつも“こんな具合で・・本当?”と少々合点がいかなかった。


前々からの予約患者の診察に多忙な医者は、すぐさま助士と交替。助士による入念な歯磨きが始まった。ひと通り磨き終え、再び、先ほどの医者に替ると、

「黒く変色しちゃってるからぁ・・おそらくは虫歯だね。3、4回通ってもらわないと。」との診断に変わっていた。


“やはり”と観念するも・・当然在り得ることと心得つつ、この期に及んで、

「画像に映らないこともあるのですね」と咎める想い。医者の初見に対するささやかな反抗だった。


「そうだね」とあっさり認める医者。その潔さに言葉もなく。

「染み止めを塗っておくから様子見て。お大事に」。虫歯治療を行うほどの時間的ゆとりもないためか、「これまで」とばかりに初診終了。


「虫歯」との診断には同意するも、どこか腑に落ちないまま、次回の予約を取り、歯医者を後にした。帰宅後、時同じくして同歯医者に通う家族に「どうだった?」と問われるままに経緯を話しながら、医者の対応や初見に対する不平不満、咎める想いがふつふつと浮かんできてはニガイ想いを味わう。


それからというもの・・今度は右奥、今度は左上の辺りと虫歯とは別の歯まで疼き、沁みるようになった。おまけに歯茎まで腫れて、四六時中、口の中の様子を気に掛けずにはいられず、歯磨きや飲食の際は特に、気づかうようになった。

浄化するたび、一抹の不信と医者への不満が顕わになり、心地よくはなかった。ひたすら、過去世より培われた己の悪想念を申し訳なく思いつつ、あちらこちらと思うところを浄化する。


あなたを傷つけてしまって、ごめんなさい。

よき気づきの機会をありがとうございます。

あなたを愛しています。。


次回の予約日まで一週間ほどだったが、長く感じた。

そうこうして迎えた当日、ふと脳裏に浮かんだ歯医者の顔はどこか、神妙な面持ちだった。“ごめんなさい。ありがとうございます。愛しています”と魔法の三言を想う。

“かのお医者も大変なんだろうなぁ。。。”と想いを馳せ、少々考え深げな心持ちになっていた。


こちらは、子供の頃以来、数十年ぶりの虫歯治療。たとえ、治療は医者にとって朝飯前であったとしても・・歯は内臓とリンクするデリケートなところ。緻密かつ繊細な作業ゆえに、医者も患者もそれなりに神経を使うであろう。そこに来て・・

“全く緊張しない人などいないよなぁ。。。”おそらくは。


いつしか・・かの医者を想い、診察室など諸々を想って浄化し、魔法の三言を繰り返していた。

“ごめんなさい。ありがとうございます。愛しています。。”

時間が来て、歯医者へ向かう道すがら、再び、医者の様子が浮かぶ。

“ごめんなさい。ありがとうございます。愛しています。。”そして・・


奇跡は起きた。キッカケはちょっとした“お見合い”だった。


待合室にて待つ間、診察室から漏れ聴く医者の強い調子に周囲には、にわかな緊張感が漂っていた。名前を呼ばれ、診察室のドアを開けると、治療を終えた患者がこちらへ歩いて来る。

私は、開放されたドアを背にして待機、先に通って戴こうとしたところ、その方は姿勢を正し、サッと壁を背に少々大振りな動作で「どうぞ。(お先に)」と通りを広く空け、譲って下さった。


とっさに「ごめんなさい。ありがとうございます」と少々拍子抜けしつつも、照れ笑い。相手も“こちらこそ”というように、ちょっぴり赤ら顔で朗らかに笑っていた。恐らくは双方ともに、似たような恰好でお見合いをしていたらしく。。その様子を目にした医者も助士も皆、こちらに顔を向けてマスクをした目元を緩ませている。


明らかに場の緊張が解けた瞬間だった。医者に患者に(かくゆう私も)皆、穏やかな雰囲気に包まれている。


治療椅子にゆったりと腰かけると、ほんのりと温かな空気を感じて何となく心地よい。マスクに覆われた目で物申すかのお医者が、いつの間にやらマスクを口元までだらりと緩め、こちらに寄り添うように「(虫歯の様子は)どうでした?」などと、丁重かつフランクに話し掛けてきた。まるで。。親しい身内と話をしているような心持ちだった。


対話は和やかムード、ざっくばらんに運び、改めて、治療に際してのいくつかの選択肢と妥当案が示され、互いに納得のゆく処遇に落ち着いた。治療に入り、

「痛かったら合図してぇ」との心づかいに、大口を開けたまま「あ~ぃ(了解)」と応じるも、これといって難はなく、

「(歯を削ってみて初めて、)ちぃっちゃな虫歯でした」と事後報告を受けるも、

“そういうこともあらあなぁ。。”とばかりに寛容。不思議なほど、不穏な想いがつゆとも湧かなかった。


こうして終始、とても軽い心持ちで虫歯の治療は完了した。

“医者”と“患者”という立ち位置や柵(しがらみ)を超えゆく、“人”と“人”。互いが寄り合い、係り合ってこそ、開かれる道。その素晴らしき中道をゆく。といった感じかな。真に嬉し、めでたし。


いかような形にせよ。。これも“ご縁”。ありがたき“幸せ”なりけり♪


たとえ・・至るも至らぬも、それでもなお、人が愛おしく思える。まさに奇跡の言葉、これぞ“魔法”、その魔法の巧妙&絶妙さにはいつも感銘を受ける次第。


今、心新たに・・改めて、その素晴らしき魔法に感謝します。

天の遺業、大いなるお仕組みに、ただただ感謝。真にありがとうございます。。。合掌


天上より差し伸べられる救いの手、深淵な愛の言霊

* * * ごめんなさい ありがとうございます 愛しています * * *






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