「信」とは、一般的には真実で偽りのないこと、「信用」や「信頼」といった言葉が浮かぶかもしれません。
本来、“信”の字には、人の言葉とその心が合致する、つまり「嘘を言わない」という意味があります。
そこから、嘘偽りなく、心と言葉ひとつに疑わぬ心の在りようを表していることが分かります。
また、約束事に背かないよう行動する“まこと”の意味を持ち、情に厚く、決して相手をあざむかない“誠実さ”や“まごごろ”も示されます。
人は“信”がなければ生きていくことができません。
なぜなら、“信”は人が人であるために欠かせない要素だからです。
天は人の本来あるべき姿、人が人として生きてゆくための基本道徳のひとつとしてこの「信」の心を生み創られ、すべての魂に授けて下さっています。
だからこそ、こうして私たちは常に“何か”を信じて生きて来られたのです。
そもそも人は、何を信じることが、最も幸せな生き方(=本来の人生)になるのでしょうか。
もしかしたら明日、大津波が来て、今のこの環境が一気に破壊されるかも知れません。
しかし、いかに天変地異に見舞われ、生きる希望を失いかけようとも“明日も生きてゆける環境が必ずある”と信じるからこそ、人は様々な苦難や困難を乗り越え、平静を取り戻し生きていけるのではないでしょうか。
物質文明や経済成長が至上の価値だった時代を超えて、精神世界の価値を受け入れる時期に来ている私たちにとって“最も信を置くべきことは何か”、“信を置くべき相手は誰か”を考えることはとても重要なことです。
天へ信を置くこと”が本来の生きるべき正しき道だと思います。
すべての根源たるゆえに、すべての価値の源は天です。
その天が最も力を注いでおられるご経綸「人主体の人類総幸福社会造り」は成るべくして成るのです。
ゆえに、その成る(成される)こと、ご経綸の実現は疑う余地はありません。
それを真(まこと)の心でただ一心に信じ、魂を委ねることが最も重要であり、天が“最も望んでおられること(人類総幸福化による地上天国)”に誠実に信を置くことが最も正しいのです。
天への「信」こそ、様々な奇跡を起こすものです。
ありとあらゆるみ恵みを下さる天とて、私たち人の想う“愛”もあれば“気が進まぬ”という想いもお持ちです。
天の子である私たち人が、天の親より日々恩惠を授かっているにも関わらず心からの信を置けぬ子なれば、親の齎す潤沢なみ惠みでさえ“その子なりのもの”となってしまうのも自然なことでしょう。
「信」はその創造主たる天の望む“人の基本道徳”なればこそ、人類すべてに当てはまることです。
私たち人は、天への「信」に一大旋風を巻き起こすべきなのです。
すべてのすべての創造主の望まんとする心(想い)を深く信じ続けることこそ、人は幸せになるためのあらゆる恩寵を賜り、人生において、魂の生きる精神世界と身をおく現実世界(実社会)双方相俟って物事がうまく運び、真(まこと)の幸せを得、人類総幸福社会の到来を早める秘訣なのです。
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