「仁」とは、“思いやりの心”です。
古代中国に発祥した儒学(儒教)にて、基本的かつ最も重要な徳目とされ、孔子などにより「最高の徳」として伝えられ今日に至ります。
「仁」は“人”そのものを表しており、また、人が複数存在し社会的関係がつくられることを意味しています。
字源や文字の形より、“二人の人が対等に相親しむ”こと、“人が敷物を供し、思いやる”ことなどと理解されています。
音読みは“ジン”ですが、訓読みでは“めぐむ”や“したしむ”、“いつくしむ”と読まれ、“やわらかい”や“核(種)”の意味もあります。
儒学の教えによれば「仁」は、“人”を“人”として扱うこと、打算など無く自然に相手を“人”として尊重すること、寛容であること、柔和な心を持つことなどが説かれています。
人(あなた・私)が、相手(すべての人)を自分と同じ“人”として大切に思いやること
人(あなた・私)が、偏見や差別なく、相手(すべての人)を尊重する社会
それこそが、天がお考えになる“完璧な”人類総幸福社会です。
天のみ意である「人をしての天国社会(=人類総幸福化)」はやがて実現してゆきます。
完璧な、人社会(=人類総幸福社会)は、すべての人の想念が成熟し、“完璧”と思えるほどの、聖く正しくふくよかな心へと育ってこそ、そのような素晴らしき社会となってゆくのでしょう。
天が望まれる人類総幸福社会は、人の更なる想念向上に係っていますから、実現には、人の想念相応に年月を要します。
今はまだ、その想念至らぬながらもこうして人類総幸福化に向け、日々、進化と育成を続け、成長過程を歩んでいますから、人が自ずと相手に敬意を払い、人として等しく戴いている役目や役割を称讃してゆくことにより、着実に人類総幸福社会は近づいていると言えます。
「仁」=人を思いやる心は、人が人らしくあるために欠かせない重要な要素です。
人を思いやることは本来、利己的や打算的などではなく、相手を対等な立場;天より戴いている“人としての使命”を共有する同朋として尊重することです。
たとえ、あなたのその目にどのように映る人であれ、共に人類総幸福社会を形づくってゆくために欠かせない一要員として、天が存在を許し、ご加護戴いていることは確かな事実です。
なればこそ、好くも好かぬも共に人類総幸福化を目指し“共に幸せになりゆきましょう”と願うことが大切なのです。
そのような本来の思いやり「仁」は、人が人を愛することに通じる心であり、人を純粋に思いやる時、人の「仁」の心はますます育まれてゆきます。
いかなる人であれ、すべての人は天の子孫です。
わが子孫たる「人」を思いやり、無条件に愛する天の純粋な愛に等しく、「仁」とは、あなた・私(人)が共に、純粋に思いやって愛すべき“すべての人”ともいえるのです。
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