三大浄化法

人の意識の成長と進化のためには、過去世を含めた悪いカルマを償い、悪行に起因するトラウマ(心の傷)を癒し、それらの基となる悪想念を改めてゆくことです。


今世の現象として表れている、肉体の不調や不具合も含め、遭遇する出来事は概ね、精神面に由来しているため、精神世界を見ずして問題解決を図るのは難儀なことです。


一般的に、心がけがよくなければその結果として、たとえば、「病気」という形で浄化を戴き、浄化現象によって改善が計らわれることは日常的に経験するところですが、 世のあらゆる現象は“気づきの機会”であり、「病気」という苦しみや不自由さの根本要因となっている“心がけ”に問題があることに気づいて、その“心がけ”を改めることにより人は成長してゆきます。


したがって、本人が自ら、気づき、悟って改心するまで、繰り返し出来事は起こります。この精神世界の法則は、意識を成長させるためのお仕組みですから、それなりの時間を費やしてでも、じっくり腰を据えて学んでゆく必要があるということなのです。


は多くの問題を抱えており、その、魂や幽体や霊体が抱える潜在的な問題の根本要因は、①カルマ②トラウマ、③悪想念ですから、これらの問題解消に積極的に取り組むための浄化が「三大浄化法」です。


Ⅰ.『浄化の業』

「浄化の業」は、天上より齎される純粋な“生命エネルギー”によって、魂や副魂、チャクラに溜まっている悪いカルマを浄化し、解消を図ります。


カルマは、因果律によってその解消(償い)時期が管理されており、これまでは概ね、本人(の顕在意識)の忘れた頃に訪れるのが一般的ですが、「浄化の業」は、因果律を超えて働くようにお計らいがなされていますから、当然その解消時期は早まります。その分、長い期間を経て苦しいカルマを抱え続けることなく、解消が計らわれることになるわけですから、画期的な業です。


何よりも、「悪行を詫びる」姿勢が重んじられていますから、自ずと心から詫びる想いが湧くような想念へ向上することが、悪いカルマ解消の重要なカギです。


「浄化の業」により、過去世で罪を犯した本人がその行いを忘れている後世で不幸に見舞われ、自らの悪行に気づけずにいるよりも、顕在意識である程度、察しがつき、気づきやすい時差に縮められることにより、罪の認識や反省に繋がりやすくなりますから、結果的に、改心する機会が早まれば、それだけ足早に幸せに近づくことになります。


また、天上よりの純粋な“生命エネルギー”は、肉体の細胞を癒し、活力を与えて活性化させ、不調や不具合を調えます。

ただ「病気は治せばよい」との肉体的(現象面)な治癒を目的や成果とするよりも、先ずは「なぜ、そういう(病気を戴く)結果になったのか」を自省することが肝要、そのためのよき気づきの機会であることを心得ます。


病気や症状は浄化現象ですから、結果として“現象”が起きています。その潜在的な根本要因に気づけなければ、再び、現象は起こり、改心が成されるまで“根治”はあり得ないと言ってよいかもしれません。


自らの心がけが成っていなかったことを本人が悟ってこそ、救われる結果が齎されるのです。病気や症状などを“煩わしいから”と闇雲に現象自体を排除する想いは本末転倒、本人にとって、真の意味での“救い”にならないことを留意しましょう。


「浄化の業」で戴く“生命エネルギー”は、宇宙のあらゆるものに適用可能という純粋なエネルギーですが、その効果や成果などの結果については、施浄者の思惑や望み通りに事が運ぶとは限りません。あくまでも、純粋なエネルギーを齎す御方様のみ意により、きめ細やかに制御されている的確かつ精妙精細な“業(わざ)”であることを念頭に置きます。


心がけ至らず、天のみ意(人類総幸福社会や精神世界の法則)にそぐわない望みを持って施浄しても、その成果は期待されるところではなく、その望みは叶うはずもありません。


上記を踏まえて、足早な幸せのために「三大浄化法」を活用し、積極的に人類の幸福へ貢献する塾生は、幸運に恵まれ、より多くのみ惠みを賜ることになるでしょう。



Ⅱ.『想念浄化の業』

人は自ら、真の幸せを追求し、自己の意識改革と想念向上により、自ずと真の幸せは会得されます。足早に、真の幸せを臨む人々によって社会の進化に寄与がなされ、人類総幸福社会へと導かれてゆくのです。


すべては、天之大み祖之御方様のみ意、ひとつの“想い”より始まっています。


人主体の人類総幸福社会造りにかける想い;み意のもと、すべての存在が働き、すべての世が営まれてきました。


私たち人は、肉体を授かる以前より、先に魂が創造され、魂に自由意思が与えられて以来、その意思(想念)によって、様々な働きを成し、“想い”がなくては行動すらままなりませんから、すべての存在は、その想い;想念によって存在しえているといっても過言ではありません。


したがって、すべての人が幸せな想念を持ち、安心して生きてゆくことのできる人類総幸福社会を築き上げるためには、それに相応しい想念への進化向上は最重要課題です。


「想念浄化の業」にて、天上より戴く純粋な“想念エネルギー”は、各意識が抱える想念に直接働きかけて向上が計らわれ、想念の健全化が進みます。


“想念エネルギー”は、人の主意識(肉体、幽体、魂)や、その副意識が抱える問題である“心の傷”を癒して、トラウマの解消へと導きます。


トラウマは因果律により、意識を成長させるために必要あって与えられた苦しい経験です。苦しいからと逃げずにきちんと向き合えば解消が計らわれますから、「想念浄化の業」を行う際には、そのトラウマを“受け入れる”ことや“向き合う”ことを念頭に置いて施浄するとよいでしょう。


トラウマの発端はカルマが基です。たとえば、過去に、食べ物を盗んだ自らの行いを悔やむ余り、“盗む”という行為を責め、蔑んでいるとか、人の悪い噂に乗じていた経験より、後世で、悪い噂に反応しやすく、悪く思われていないか気になったり、人を悪く思いがちであるなど、過去のカルマに由来した潜在的な“わだかまり”や“とらわれ”、“想い癖”などにより、心は傷ついているのです。


また、純粋な“想念エネルギー”は、主意識や副意識、顕在意識にある「悪想念」を浄化することにより、智性化が計らわれます。


「悪想念」は、悪いカルマやトラウマをつくる要因となりえますから、浄化する必要があります。想念が浄化されてある程度、意識の智性化が進みますと、高次元の意識の観点(一般的には真なみ魂様)により、そこまで至らない幼い意識の「悪想念」を諭すことができるようになります。


「想念浄化の業」で戴く“想念エネルギー”は、顕在意識を成長させ、超顕在意識を生み出します。超顕在意識は“気づきの意識”と呼ばれ、各意識が悟りを得るために重要な、意識の客観的観察を行いますから、この超顕在意識が、想念エネルギーによって育まれますと各意識の気づきは早まり、悟りを得やすくなるのです。

過去の“思い癖”や“しこり”は、トラウマ自体の解消は進んでいても、「悪想念」がいづれかの意識に沁み込んでいて、その成長を阻んでいる場合もあります。


“想念エネルギー”による、意識の問題であるトラウマや悪想念が浄化されるにつれて、自ずと、迷惑を省みない己本位の想いや行いも減ります。自分と他人を分け隔てる思いや、偏見差別などの“偏り”も薄くなります。想念の健全化、智性化が進むほど、身に起こる出来事のすべての要因は、自己意識の想念に関与しており、すべて自己の責任において受け容れて善処すべく、「真」の姿勢で物事に向き合い、取り組めるようになるのです。


究極的に、人の世の現象すべてに対して、すべての人が責任を共有し、与えられた役目役割を健全な精神によって務めることができてはじめて、真の意味で心身ともに成熟した“幸せな人(人類)”と言えるでしょう。


人としての使命は、人類総幸福社会を築くことであればこそ、すべての人にとっての“真に幸せな社会”を築き上げる過程において、起きる現象の責任は全人類にあります。

そのことを悟るためにも、その意識が幼くしては悟れず、人類総幸福社会造りの主たる人類による“完璧な天国社会”は成しえませんから、自己意識の改革は必須です。


人の精神の健全化は、新三千年紀を生きる私たちに求められた“時代の要請”ゆえに、この『三大浄化法』を積極的に活用し、真の幸せな人類総幸福社会を成してゆきましょう。


Ⅲ.『身体浄化強化の業』

心がけがよければ、なお、身も健やかさを保つべく働くのが、宇宙の真理です。


「身体浄化強化の業」は、日常的に天上より戴く純粋な“生命エネルギー”を、肉体の主要なエネルギーの通り道である12正経を通じて、六臓六腑全体をくまなく浄化し、体の持つ生命維持機能を癒し、活力を与えて活性化を促します。 


肉体を持つ者も持たぬ者も、エネルギーによってはじめて存在することができ、ましてや、肉体を持って存在する間は、命を営むための生命エネルギーを消費して生きていますから、肉体は、命懸けの、生命エネルギーを懸けた大仕事をしているようなものです。


授かる生命の機能維持や、その営みのために、時に、肉体の大掃除も必要です。


肉体界(3次元)も含めた現界には、実に多くのものが生み出され、体にとって欠かせないものであっても、善い影響や必要な働きに留まらず、肉体が活動することによっても生み出される、負の面や、危険性とも向き合ってゆかなくてはなりません。


高度経済成長を成してきた現代社会、その置かれている環境を鑑みても、肉体を持って存在するには一大事であり、その意味において、魂の世界より見れば肉体界はそれなりに“不自由”な事が多いように思えるかもしれません。


人は過去世より、弱肉強食の過酷な環境の中を生きてきており、現社会の特に経済先進国においては、生きるために必要な飲食が得られない人は激減した一方、“飽食の時代”を迎えたことによる弊害も多く見受けるようになりました。

過去、食べ物や飲み水を得ることの多大な苦労が、現在の暮らしや生き方に滲み出て社会に投影されており、逆に、過去世の生き方や暮らしぶりを察しやすくしています。


肉体界;3次元は、最も低い次元界ゆえに、精神世界の法則である「高いところから低いところへ次第に浸透、波及してゆく」に則り、高次元のみ魂が真理を悟っても、低次元の肉体(の意識)が瞬時に悟るということはなく、相応の時差は生じます。


現界であれ、幽界であれ、すべての世界は、この法則に則って営まれており、日常的に「そうすることが善いとある時気づいても、なかなかそのように出来ない」といった声が多いのもうなずけるのではないでしょうか。


精神面と肉体面は、同時に存在しているため、どちらか一方だけに、影響を及ぼすようなわけにはゆきませんが、精神面の向上は、いづれ肉体面に影響し、肉体の根本改善が成されゆくのが世の流れ、精神世界の法則です。


したがって、精神面の向上を図ってゆくとともに、その影響が各意識の成長段階を経て徐々に及ぶ肉体面については、「身体浄化強化の業」で戴く“生命エネルギー”を主要な臓器全体に導き、肉体を健やかに保つよう、浄化することが望ましいのです。


精神の健全化とともに、身体の健康にも気配りを欠かせない、そのような心がけは望ましい想念であることは「善い想念、善い行為のプロファイル」にもある通りです。


人の意識が持つ想念の健全化に伴い、魂はもとより、肉体も“天よりの賜物”であるとの認識を常に持てるようになることは意識が成長した証しであり、実際に、身体を労わり大切に扱えるようになるには、想念向上並びに精神の成熟が必要なのです。


肉体が生きるには、少々過酷と思われる現社会において、肉体を思いやり、健やかに保てるように授けて戴いている業が「身体浄化強化の業」です。


健全な想いからこの業(わざ)を的確に使いこなせるには、多少の経験は必要ですが、何よりも、肉体自体の浄化能力は「浄化の業」の100倍ですから、まさに“浄化強化”の業であり、身体の大掃除、命の洗濯に欠かせない業と言えます。


身体の要所、要所の浄化には普段使いの「浄化の業」、全体的な肉体の浄化の際には「身体浄化強化の業」というように使い分けるとよいと思います。


心も身体も共に、健全で健康な状態を心がけるために授かった「三大浄化法」ですから、日常的に、「浄化の業」や「想念浄化の業」と合わせて「身体浄化強化の業」を活用しましょう。


あなたの“健やかさ”こそが、人類総幸福社会への健全たる貢献に繋がっています。







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